■コロナSF同様にスプリンターにもサブネームを持つシエロを設定
同時代のトヨタ車では1983年登場の5代目スプリンターに4代目スプリンター3ドアリフトバックの後継として5ドアハッチバックを設定。続く1987年の6代目スプリンターには5ドアモデルにサブネームの「シエロ」が与えられた。
8代目コロナの5ドアHB同様、5代目スプリンターの5ドアHBは販売的に苦戦したため、コロナSFと同様にサブネームのシエロ(スペイン語で『天空』の意)がつけられたという経緯がある。なお、このスプリンターシエロは欧州ではカローラ5ドア、豪州でカローラセカ、北米でジオプリズムHBとして販売された。
シエロで秀逸だったのが販売キャッチで、前期型は「シエロ、その名は遥かなる天空を意味する」で、後期型は「センスが香る人のニューセダン」。そこはかとないオシャレさを感じさせたのだが、以後は5ドアモデルは設定されずじまい。残念だった……。
■三菱やホンダからも5ドアHBが!
同じ時代の三菱からは6代目ギャランの姉妹車として設定されていた1988年登場の4代目エテルナが5ドアHBとして登場。のちに4ドアセダンのエテルナSAVAも追加されるが、実は6代目ギャランVR-4と同じく2Lターボの4G63を積むホッとグレード、ZR-4も設定されていた。
さらに同年登場した3代目ランサーも日本国内では5ドアHB専用モデルだった(海外仕様は4ドアセダンに)。ミラージュサイボーグ(こちらは3ドアHBと4ドアセダン)と同じく1.6Lインタークーラー付きターボ(前期型145ps/後期型160ps)を搭載したGSRなど光るグレードも存在した。
ところが、ランサーはその後初代ランエボのベースとなる4代目ランサーでは4ドアセダンのみとなり、5代目ランサー、6代目ランサーセディアでは5ドアHBモデルが設定されず。
ホンダからは1988年に誕生した初代コンチェルトが4ドアセダン以外に5ドアHBを設定。いずれも6ライトウィンドウスタイルで、当時のホンダ車らしく前後サスペンションにはダブルウィッシュボーン式を奢られていた(欧州仕様はフロントがストラット式だった)。
その後、コンチェルトは2代続いたドマーニにその座を譲るも4ドアセダンのみで、5ドアHB車は設定されなかった。やはりホンダでも5ドアモデルは不遇をかこつことになった。
■日産も5ドアHB戦線に復帰へ!
R30スカイライン後はしばらく5ドアHBが設定されなかった日産だが、1990年に登場した初代P10プリメーラでは英国生産の5ドアHBモデルが翌1991年から日本導入を開始した。
地味な存在ながら実はマイナーチェンジを受けたのは5ドアHBが先。ウインカーレンズの色がクリアからアンバーに変更されるなど1994年2月にマイチェンを実施。4ドアセダンのほうは1994年9月だった。さらに1995年1月には5ドアHBは2度目のマイチェンを受け、同年6月には当時の円高差益還元によって10万円も値下げされていたりする。
プリメーラは1995年に2代目モデルにフルモデルチェンジされたが、2代目では1997年2月から5ドアモデルを設定。しかも今度はプリメーラUK2.0GTと英国生産であることをアピールするようなサブネームが付いていた。
プリメーラは2001年FMCを受け、3代目モデルに。だが、日本仕様は4ドアセダンとステーションワゴンのみとなり、今回も欧州では設定されていた5ドアHBは導入されることはなかった。
コメント
コメントの使い方10代目コロナはセダンより5ドアの方が断然カッコイイ
日本の5ドアはトヨペットコロナRT40(1964年)の派生車として国内初登場したが売れませんでしたね
スプリンターシエロや、記事には紹介されなかったファミリアアスティナは、今見てもカッコイイと思うけど、当時の5ドアHBは「実用性重視で商用車っぽい」「グラスハッチが暑そう、重そう」というマイナスイメージが強かったかもしれない。プリウスもトヨタ的には「4ドアセダン」とされているし、時代に合った使い方をされる車かどうかで売れ行きが変わったんだよね。