いま“人気車”と呼ばれている車の多くは3代目、4代目……と代替わりを重ねているモデルがほとんど。例えば、ホンダのフィットやトヨタのアルファードなども、その代表例だ。
一般的に人気車には、初代モデルで売れ行きが伸び悩んだ車種はほとんどない。販売が低迷すると、車名を変えて別の車種にするからだ。
ただし、最初は不人気で後になって人気を集めたという「例外」もある。
人気車は最初からヒットを飛ばし、高い評価を得ていたのか? 現在も人気を集める4台のヒット車の原点でもある“初代”の評価と売れ行きを改めて振り返る。
文:渡辺陽一郎
写真:HONDA、TOYOTA、SUZUKI
初代フィット/2001年登場
フィットは、現行型で3代目になるから、各モデルとも人気車だった。
特に凄かったのが2001年に発売された初代モデルだ。発売時点ではエンジンは1.3Lのみで、3グレードの構成だったが、超絶的に売れて2002年には国内販売の総合1位になった。
初代フィットは、現行型と同じく燃料タンクを前席の下に搭載して荷室を広げ、ボディサイズの割に後席も広い。運転しやすく、燃費の優れたコンパクトカーでありながらファミリーカーとしても使いやすい。現行型とほぼ同じ特徴を備えた。
しかも、売れ筋となる「A」の価格は114万5000円で、コンパクトカーのなかでも特に割安だった。
慌てたのがトヨタだ。初代ヴィッツは急遽1.3Lを追加して、買い得な「U・Dパッケージ」をフィット「A」と同額の114万5000円に据えた。デュエットも改良して「1.3V」を114万3000円で設定している。
少し上級のイストも加えて「フィット囲み込みフォーメーション」を、わずか1年ほどの間に完成させた。
ちなみに、この時代のトヨタは、自社製品よりも好調に売れるライバル車を許さなかった。自社製品を改良したり「刺客」の新型車を送り込み、競争相手を必ず販売面で打ち負かした。
当時は嫌な気分を味わったが、今にして思えば、ほかのメーカーはトヨタによって鍛えられていた。
ホンダがモビリオを発売すればトヨタはシエンタ、ストリームを出せばウィッシュという具合に徹底マークされたが、この時期にホンダはミニバンの商品力を大幅に高めている。トヨタの「ホンダ叩き」がなかったら、今のホンダの優れたミニバンは存在しなかったかも知れない。
話を初代フィットに戻すと、トヨタ車に限らずコンパクトカーの流れを変えた。ライバル車の2代目デミオも、「カジュアル」を114万5000円で設定している。まさに「フィットの時代」であった。
初代プリウス/1997年登場
冒頭で「好調に売れている人気車には、初代モデルで売れ行きが伸び悩んだ車種がほとんどない」と述べた。この数少ない例外が、1997年に発売された初代プリウスだ。
世界初の量産ハイブリッド乗用車として注目を浴びたが、売れ行きは伸びていない。1998年における初代プリウスの国内登録台数は1万7700台で、少し時間が経過した2002年には6700台まで下がった。
一方、2018年には現行型が11万5462台登録されている。人気の高かった先代型が発売された直後の2010年には、国内だけで31万5669台が登録された。2018年に国内販売総合1位になったN-BOXが24万1870台だったから、31万台を超えた先代プリウスは超絶的な人気車だった。
この先代プリウスに比べると、初代モデルの売れ行きは低調だったことになる。
ただし、初代プリウスは、ほかの車種と事情が違う。発売直後はハイブリッドシステムがユーザーから理解されず、メーカーや販売店には「充電はどうすれば良いのか」といった質問が寄せられた。
未知の技術だから、ユーザーが慎重になるのも当然で、売れ行きをほかの車種と同列に評価することはできない。
また、販売系列も異なる。先代型の3代目以降はトヨタの全店(約4900店舗)が扱うが、初代プリウスはトヨタ店のみ(約1000店舗)であった。
そして初代プリウスは、2000年のマイナーチェンジでプラットフォームを含めて機能を大幅に刷新するなど、フルモデルチェンジに匹敵する変更を受けている。
初代プリウスは、売れ行きこそ伸びなかったが、改良を施しながら商品力を高めて2代目以降の飛躍に繋げた。
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