■いすゞ117クーペ(1968年)
2ドアクーペの117クーペはベースが当時でも新しさは薄かったセダンのフローリアンがベースだったこともあり、スポーツ性は薄いモデルだった。しかし、その内外装だけでなくパッケージングやコンセプトはイタリアのカロッツェリア(デザインスタジオ)であるギア社に当時在籍していたあのジョルジェット・ジウジアーロ氏が担当。
117クーペはその美しさだけで存在意義があったのに加え、日本車においてフル4シーターのクーペというジャンルを確立したことでも歴史に残るモデルとなった。
そのボディは手作業で生産させていた前期型、プレス成型による量産となった中期型、ヘッドライトが角目四灯となった後期型という改良を受けながら1981年まで13年間生産され、こちらもジウジアーロ氏のデザインとなるピアッツァを後継車に絶版となった。
七宝焼が採用された117クーペのエンブレムは日本と中国に伝わる神獣である唐獅子で、これはジウジアーロ氏がいすゞのクルマということもあり、「東洋を象徴する何かを」という意図で選んだものといわれている。
そのうえ117クーペのエンブレムは七宝焼なのだから、これはジウジアーロ氏やいすづの開発陣による「和の演出」という粋な計らいだったのかもしれない。
■トヨタ初代MR2(1984年)
日本初のミドシップカーとなった初代MR2は、当時FF化されたばかりの5代目カローラのパワートレーンをミドに移動した点など、ミドシップのスポーツカーとしては比較的簡易な成り立ちとなるモデルである。
しかし、その走りはシャープなハンドリング、トラクションやブレーキ性能の高さなどミドシップのスポーツカーらしい研ぎ澄まされたものだった。それだけに運転する楽しさや「実用性と引き換えに高い運動性能を得られる」点などを初代MR2が日本人に教えた功績は大きかった。
初代MR2のエンブレムはそれほど価格が高いモデルでないにもかかわらず、MR2のキャラクターともリンクする猛禽類が描かれた七宝焼(さらにWは分かりにくいが、型式のAWもイメージしていると言われている)で、この点は「日本初のミドシップカー」という意気込みも象徴したものだったのかもしれない。
しかし、MR2のエンブレムは2代目モデルになった際に現在まで続くトヨタのTをイメージしたものに移行し、初代MR2のエンブレムの補修部品もある時期から通常のプラスチック製に変更された。
■トヨタ初代スープラ(1986年)
セリカXXがフルモデルチェンジしたモデルとして、フルモデルチェンジを期に車名も世界統一名となった初代スープラは、セリカXXと同様にソアラの兄弟車となるスポーツカーである。
スポーツカーのなかでもGTカーのキャラクターが強かった初代スープラはスポーツカーらしいシャープさには欠けたものの、当時日本最強となる230psの3L直6ターボの搭載による速さやコントロール性に優れるハンドリング、そしてにアメリカンな雰囲気もあり人気車となった。
初代スープラのエンブレムが臙脂色の七宝焼なのは、初代スープラが初期モデルでは「TOYOTA 3000GT」というキャッチコピーを使っていた点をはじめ、2000GTの再来のようなモデルを目指していたことからもよくわかる。
その後、1990年のマイナーチェンジの際に初代MR2同様、トヨタのエンブレムに移行した。しかし、現在はトヨタが製造廃止となった古いモデルの純正パーツを復刻するGRヘリテージパーツで、初代スープラの七宝焼のエンブレムが復活している。
価格は4万2900円と安くはないが、こういったパーツが新品かつ現代の環境関係の法規を満たしたうえで手に入るというのは喜ばしいことだ。
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