■2000年にGMの子会社に
そんなエピソードに満ちたサーブだが、企業としての動乱の歴史を見ていこう。
前述の通り1947年に設立されたサーブだが、しばらくは順風満帆で、1968年には商用車メーカーであったスカニアとも合併を果たす(1995年に再び分離)。
ところが少規模メーカーからの脱皮は難しく、これを乗り越えようと1980年代には、ボルボ、フィアット、アルファロメオと合弁事業(ティーポ4プロジェクト)にも取り組んだ。しかし収益力は回復せず、1990年、サーブはGMの折版出資を受け入れ、さらに2000年には同社の完全子会社となった。
とはいえ当時はGMにとっても冬の時代。デカくて豪華なアメリカ車は世界各地で人気を失いつつあり、結局GM自体が、2009年6月に破綻する。
これによってサーブの資産も売却対象となった。。サーブは一時、スウェーデンのスーパーカーメーカー「ケーニグセグ」への売却が決まったが、ケーニグセグが資金を確保できずに話は白紙に戻された。
■一時はEVとして復活するも短命に終わる
2009年12月、結局サーブは自社モデル「9-3」と「9-5」に関する知財権や生産設備を中国の北京汽車に売却し、企業本体については、オランダの「スパイカー」が買い取ることで話がまとまった。
しかしスパイカーも小規模メーカーであることに変わりはない。スパイカーはサーブのブランド力を生かす暇もなく自身の資産を食いつぶしてしまい、これまた2011年12月に破産してしまったのだ。
これでサーブの命脈は尽きたと思われたのだが、そこへ電動化の波が押し寄せる。サーブを再び買い取ったのは、香港のエネルギー企業と日本の投資会社が起こしたNEVS(ナショナル・エレクトリック・ビークル・スウェーデン)という会社だ。
同社はサーブのブランド力に期待し、同社の新型9-3をベースにしたEVを企画した。車両開発は実際にスタートし、一時は「サーブ9-3EV」というプロトタイプまで作られたのだが、ここでも再び不幸が起き、NEVSは経営破綻してしまう。
決定的だったのは、この時、債権者保護のためにスウェーデンの裁判所が「サーブ」というブランド名の使用を禁止したことだ。
結局NEVSは中国企業と提携するのだが、名称の使用を禁止されたことで、以降のモデルにはサーブの名は使わない決定を下した。自動車メーカーとしての「サーブ」はこうして潰えてしまったといえる。
現在もSAABという商標は残っている。しかしそれは、サーブ・オートモービル母体である航空機・軍事メーカーが保有しているもので、自動車ブランドとしての復活は難しそうだ。その存在は、せめて私たちクルマ好きの心の中に、いつまでも残しておこう。
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