このクルマがなかったらと思うとゾッとする、というメーカーの救世主をピックアップ。ヒットの要因を自動車評論家 片岡英明氏が検証。(本稿は「ベストカー」2013年2月10日号に掲載した記事の再録版となります)
TEXT/片岡英明
■ホンダの苦境を救った初代オデッセイ
1990年代、バブルが弾け、RV戦略で後れを取ったホンダは苦境に陥った。
このピンチを救ったのが、1994年10月にデビューを飾ったオデッセイだ。3列シートのミニバンだが、プライドの高いホンダは乗用車感覚のクリエイティブムーバー(生活創造車)と呼んでいた。
その理由は商用車ベースではなくホンダを代表する乗用車、アコードのメカニズムを使ったからだ。
デザインがいいだけでなく走りの実力も高かったから、オデッセイは爆発的に売れた。
3ナンバー乗用車のトップに躍り出て、ミニバンのベンチマークとなっている。クルマの出来とともに、映画の「アダムスファミリー」を使ったCMも販売を後押しした。
このオデッセイはミニバンブームの火付け役でもある。
ボクも発売前に予約し、乗っていました。最初のナビ装着車です。売れると思っていたけど、あれほどヒットするとは!!
■経営難に苦しむマツダの苦境を救った初代デミオ
マツダはバブルの絶頂期に積極的に海外に進出し、販売系列も5チャネルに拡大した。
また、ときめきのデザインやミラーサイクルエンジンなど、新しいことにも意欲的に挑戦している。
W12エンジン搭載車までも開発し(アマティ)、発売直前にまでこぎつけた。だが、急激な拡大戦略は失敗に終わり、多大な借金だけが残っている。
最小限の予算で開発したコンパクトワゴンのデミオを送り込んだのは1996年8月だ。
初代フェスティバの焼き直しだったが、背をちょっと高くすることで広くて快適なキャビンと使い勝手のいい荷室を手に入れている。
等身大で使いやすかったのがウケた。マツダの首脳陣が驚くほどのヒット作となったのだ。
■スバルの苦境を救った初代レガシィツーリングワゴン
スバルは早い時期にAWDやCVTに注目し、実用化した。スバリストと呼ばれる熱狂的なファンには支持されたが、ほかのメーカーのクルマに乗っている人はほとんど注目していない。
が、1989年1月に発表したレガシィのツーリングワゴンが風穴を開け、アウトドアブームをけん引する。
レガシィは4輪駆動のAWDを主役の座に据え、高速道路から雪道、オフロードまで安心感のある走りを実現した。また、DOHCターボはスポーツワゴンとしての称号も手に入れている。
コンセプトまでも一新して登場したレガシィは、アウトドア派のリーディングブランド、ベンチマークとして認知され、経営立て直しに大きく貢献したのだ。
セダンの苦戦を見ると、時代にマッチしていたのは明らかで、短い間だったが、レガシィがワゴンブームをけん引。
■ディーゼルターボで大旋風を巻き起こしているマツダ CX-5
石原慎太郎氏が都知事時代に展開したディーゼルバッシングによって日本からディーゼルエンジン搭載車は消え去った。
が、地球温暖化の元凶とされるCO2の排出量、ディーゼルはガソリンエンジンより少ないからヨーロッパではもてはやされている。
マツダは絶滅の危機に瀕していた日本のディーゼルを独自のSKYACTIV技術を使ってCX-5に搭載した。
常識破りの低圧縮比と絶妙な制御によってスムーズかつパワフル、そしてクリーン度も群を抜くディーゼルを誕生させている。
静粛性もガソリンエンジンと遜色ない。しかも分厚いトルクを低回転から発生するから俊足だ。実用燃費もいい。それらにみんなが飛びついた。
今後さらにディーゼルが盛り上がってくれば、数年後にディーゼルブームを作ったクルマと称えられることになるハズだ。
【画像ギャラリー】奇跡の大逆転を生み出したスーパーヒット車4台をギャラリーで見る(5枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方