レースシーンで磨かれた経験・技術を注ぎ込み、日産車の究極のパフォーマンスを引き出すブランド「NISMO」。1984年の設立以来連綿と受け継がれるそのDNAと歴史を振り返る(本稿は「ベストカー」2013年4月26日号に掲載した記事の再録版となります)。
■日産社内の一部署から独立した「NISMO」
NISMOとは「日産モータースポーツインターナショナル」の略で、主に日産のモータースポーツ活動を担当する日産の子会社。
以前は日産社内の一部署だったものが1984年に分社化されるかたちで独立し、誕生した。
いうまでもなく伝統ある「日産ワークス」である。モータースポーツ活動とともに日産車のチューニングなども手がけているのはご存じのとおりである。
初めてNISMOの名を冠した市販モデルは1985年に登場したB12型サニー305Reニスモだった。
エンジンのチューニングはなかったが、NISMOオリジナルの強化サスを装着。
白を基調としたボディにエアロパーツ、イエローバルブヘッドライト、ポテンザタイヤでスポーティさをアピールした。翌1986年には1.6L DOHCエンジン搭載のサニー306ツインカムNISMOも登場した。
1987年に登場したU12型ブルーバードのSSS-Rはラリーベースマシンとしてオーテックジャパンが開発、日産が製造しNISMOで販売されたスペシャルモデル。
CA18DETは大径タービン、ステンタコ足、コスワース製鍛造ピストンで武装されノーマルとの素性の違いをアピールした。ちょっとしたチューンドカーではなく、ピストンまで手を入れているあたりがモータースポーツベースマシンとしての本格派の部分。
その後もモータースポーツベースマシンとしては1990年にグループAレースのホモロゲモデルR32GT-R NISMOが500台の限定で登場。
空力パーツを含めたボディ形状の変更が禁止されていたグループAの規定のため、リアトランクリッドに小型のリップ状のスポイラーを追加したエクステリアが特徴的。
また、フロントバンパーにはエアインテーク用の小穴が追加され表情もノーマルとは違っていた。
エンジン関係では過給圧アップに耐えるためノーマルのセラミックタービンから金属ブレードタービンに変更されているのも特徴的だった。同じようにWRCベースマシンとして誕生したパルサーGTI-Rにもモータースポーツベースマシンが存在し、NISMOバージョンが設定された。
いっぽう純然たるNISMO開発のコンプリートカーとしてはS14シルビアベースのNISMO270Rのインパクトが大きかった。
SR20DETをターボチューンして270psを発揮。車名の由来はこの最高出力にある。限定30台、270psのFRで豪快な走りを堪能できた。
そしてニスモコンプリートカー第2弾となったのがNISMO400R。
R33GT-Rをベースに400psにパワーアップ。足回りまで含めてキッチリと仕上げられた本格派だが価格は1200万円。99台の限定発売とされたが、実際には55台程度が販売された。
圧巻だったのは2004年に登場したNISMO R34GT-R Z-tune。R34GT-Rの程度のいい中古車をNISMOがホワイトボディレベルから徹底補強&チューニング。
サスペンションはほとんどN1マシンと同等というハイチューン。エンジンはノーマルとはまったくの別もので、GTマシン用のシリンダーブロックやピストンを使用して2.8Lとした逸品。
最高出力500ps以上、最大トルク55.0kgmを発揮する。価格は1774万5000円で19台のみ製造された。
こいつの凄いところは、このパフォーマンスのクルマを渋滞した都内でもラクラク走らせることができたこと。
気むずかしさなどまったくなく、水温や油温を心配することなくドライブでき、いざアクセルを踏み込めば脅威の走りが炸裂。これがNISMOクォリティなのだと驚嘆したものだ。
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NISMOは昨年(※2012年)12月、横浜鶴見の新社屋に移転した。
ここは日産のパワートレーン開発の聖地とも言える場所。今回のジュークNISMOを皮切りに、『少なくとも毎年1台以上のNISMOバージョンを投入する』という。すでにGT-R NISMOの発売が明言されており、ますますNISMOから目が離せない!
(写真、内容はすべてベストカー本誌掲載時のものです)
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