日本の地震の歴史において忘れられないのが東日本大震災だ。この地震で多くのライフラインが破壊され、高速道路でも常磐道や東北道の被害はかなりのモノであった。そして地震が与えた高速道路ネットワークの影響は多い。今回はそれを紹介していく。
文:西川昇吾/写真:AdobeStock(トップ画像=Julie@AdobeStock)、三菱
■災害時こそより重要になる道路
東日本大震災では高速道路も被害を受けた。東北エリアは当然ながら、関東近郊の高速道路も地震直後は通行止めとなった。常磐道は大きな被害を受けた箇所もあり、崩落した写真がメディアで取り上げられていたことも印象的な記憶だ。
この時、わずか6日間でこの崩落現場が復旧したが、これを受けて日本の復旧力の高さに世界中が驚かされていた。
6日間で復旧した背景は様々だが、一番は「必要であるから」という理由が大きい。そう、災害時こそ物資を運ぶトラックの通れる大きな道路が重要となってくるのだ。
■開通を前倒しした新東名高速道路
このような高速道路、並びに自動車専用道路の必要性を東日本大震災から感じ、開通が早まった路線がある。それが震災の翌年である2012年4月に一部が開通した新東名高速道路だ。
当初新東名高速道路は2012年8月に一部が開通予定であったが、東日本大震災を受けて4月へと前倒しされた。
これは東京都と名古屋を繋ぎ、太平洋に沿って走る東名高速道路は日本の物流の大動脈であること。そしてそんな高速道路が災害で通行できなくなったら復旧は勿論、日本の経済に大きな影響を与えるということ、そのような背景があるからだろう。
そんなことは東日本大震災よりも前から見えていたことだが、東日本大震災でその現実を目の当たりにしたのが大きい。
東名高速道路に比べて新東名高速道路は山側を走行するため、津波などの影響を受けにくいという部分もある。いずれにせよ、災害時の必要な路線であることは勿論、日本経済を考えても必ずバックアップ体制を取っておきたい路線なのだ。このような背景から新東名高速道路は開通が早められた。
■復興のシンボルの1つでもある常磐道
そして復興のために開通が進んでいった路線がある。それが震災で被害を受けた常磐道だ。
東日本大震災以前は、北は山元IC、南は常磐富岡ICまでしか開通していなかったが、2012年4月に南相馬IC~相馬間ICが開通したのを皮切りに、復旧区間も含めて段階的に開通が進んでいった。そして2015年3月、常磐富岡IC~浪江IC間が開通したことにより、全線が開通した。
経済活動的な意味合いも含めた復興という側面も大きいが、東北エリアで再び大きな災害があった場合、東北道のバックアップを担えるという側面もある。災害復興と東北道のバックアップ。このような背景が常磐道の開通を早めたのではないだろうか。
日本は地震を始めとした自然災害の多い国だ。だからこそ1本の大きな路線だけではなく、各エリアへとアクセスが出来るバックアップにも対応できる路線が必要なのだ。
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