魅惑のイケメン帰国子女! アメリカの香りがする左ハンドルのホンダ[USアコードクーペ]はなぜヒットしたのか?

魅惑のイケメン帰国子女! アメリカの香りがする左ハンドルのホンダ[USアコードクーペ]はなぜヒットしたのか?

 時はバブル経済真っ只中、ホンダが逆輸入して日本で販売した1台の2ドアクーペが大ヒットした。その名もUSアコードクーペ。アメリカンな雰囲気がぷんぷん漂ってくる魅惑のクーペである。なぜこれほど大ヒットしたのだろうか?

文:ベストカーWeb編集部/写真:ホンダ

■アメリカンな雰囲気ぷんぷんの2ドアクーペ

アコードクーペはアメリカ・オハイオ州のメリーズビル工場で生産された
アコードクーペはアメリカ・オハイオ州のメリーズビル工場で生産された

 いまや海外生産の日本車といえば、ホンダWR-V(インド生産)やオデッセイ(中国生産)、ハイラックス(タイ生産)、タウンエース&ライトエース(インドネシア生産)、キックス(タイ生産)、少し前であればスズキがハンガリー工場生産のスプラッシやSX4 S-CROSS、エスクードとバレーノ(タイ生産)など珍しくなくなった。

 しかし、どうしても日本で販売してほしいと、いうほどのことはない……と思うのは筆者だけだろうか? 特に日産車などなぜ日本でも販売しないのかと思うクルマもある。

 今から38年前のバブル経済真っ只中の1988年4月、ホンダはアメリカ・オハイオ工場で生産されていたアコードクーペを左ハンドルのまま、日本に逆輸入して販売した。その名もUSアコードクーペである。このアコードクーペが国産メーカーの逆輸入車第1号となったのだった。

今見ても潔いデザインで新鮮である
今見ても潔いデザインで新鮮である

 当時はバブル期で景気は非常によかったが、それでも一般的な日本人にとって、輸入車はまだ高嶺の花。だからこそ左ハンドルへの憧れは強かったし、国産メーカー車であっても、アメリカの香りのするアコードクーペは、エレガントで日本車にはない雰囲気で大人気となったのだ。

ドアを開けるだけでシートベルトがこのように出てくるパッシブシートベルト
ドアを開けるだけでシートベルトがこのように出てくるパッシブシートベルト

 ドアの開閉だけでシートベルトの着脱ができるパッシブシートベルトやBOSE製オーディオシステム、豪華絢爛な本革シートなど、雰囲気も日本製とは一線を画していた。価格も260万円と、プレリュードSiが224万4000円ということを考えると、かなり高額だった。

厚みがある本革シートは今見ても豪華
厚みがある本革シートは今見ても豪華

■2匹目のどじょうはいたのか? 

1990年4月に登場した2代目アコードクーペ
1990年4月に登場した2代目アコードクーペ

 初代アコードクーペは1988年の輸入開始から1990年2月末まで日本国内において1万台を超える販売台数を数え、大ヒットした。

 アコードクーペはその後、1990年3月から2代目、1994年2月からは3代目が逆輸入されたが、物珍しさや逆輸入車の特別感は徐々に薄れ、最終的には不況やクーペ人気の下降もあって、1997年8月をもって逆輸入終了。

1994年3月に発売した3代目アコードクーペ
1994年3月に発売した3代目アコードクーペ

 他のメーカーはUSアコードクーペのヒットをどう見ていたのだろうか? トヨタは1992年にセプタークーペとワゴンを、日産はブルーバードオージィ、三菱はエクリプスを販売した。

 アコードクーペのヒットで気をよくしたホンダは、1991年からアコードUSワゴンを逆輸入して販売すると大ヒット、続けて2代目も売れ続けたものの、日本生産となった3代目はそれほど売れなかった……。ちなみにアメリカ生産のシビッククーペは1992年8月から1996年1月まで販売されていた。

【画像ギャラリー】世にも珍しい左ハンドルのまま日本で販売されたUSアコードクーペとUSアコードワゴンの写真をチェック!(11枚)画像ギャラリー

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