■バブルに翻弄 しかし未だその翼に魅了される人は絶えず
冒頭で申し上げたとおり「時代の徒花」と揶揄されることも多いセラが1代限りで生産終了となった理由は、まあ「時代のせい」なのでしょう。
セラ(AXV-II)の開発が始まった1980年代半ばバブル前夜で、市販版が初披露された1989年秋はバブル最盛期。
そして販売が始まった1990年3月も、ピークは過ぎたもののまだまだ世の中は楽観的でした。
しかし1990年10月に日経平均株価はピーク時の半値近くとなり、以降、さまざまな種類の不景気風が吹き続けたことは、現在40歳以上の人でしたらリアルタイムでご存じなはず。
そうなると、「スターレットをガラス屋根とガルウイングにしたふざけた車(これは筆者が言っているのではなく、当時の人々の主たる印象です)」を遊び半分で買う人は少なくなるのも道理です。
それに加えて、セラに「車そのものとしての問題点はなかった」と言えば嘘になります。
「大した動力性能ではない」というのはそもそも開発陣が狙った方向性でしたが、そこそこ値が張るスペシャリティカーを買うユーザーからしてみれば、物足りなく感じたかもしれません。
また自慢のグラッシーキャビンのガラスには当然、真夏の断熱対策が施されていましたが(エアコンも大容量タイプが装着されました)、それでも真夏の車内はやはり暑く、「走るビニールハウス」と揶揄されることも。
また、しっかり作ったつもりのバタフライドアのダンパーも経年劣化で減衰力が低下し、上げたドアがバタンと落ちてしまうこともあったようです。
そんなこんなでセラはヒット作にはなりえず、ヒット作とならなかったばかりか「色モノ扱い」されることも多い車になってしまいました。
確かにセラは、ある意味「色モノ」だったのかもしれません。それゆえ、あざ笑う人が多いことも理解はできます。
しかし当時の作り手としては、色モノどころかかなり真剣な思いで作り上げた一台であったことは、新車時の資料をあらためて読み返せばひしひしと伝わってきます。
そして作り手たちのそんな想いは、一部のユーザーたちには確実に伝わりました。
世間的には色モノ扱いされているセラですが、有力なオーナーズクラブが会合を開けば、今なお全国からセラが大挙して押し寄せます。
ピカピカに磨かれ、しっかり整備され、そして運転席側バタフライドアを空に向けて誇らしげに持ち上げた、美しいトヨタ セラたちが。
■トヨタ セラ 主要諸元
・全長×全幅×全高:3860mm×1650mm×1265mm
・ホイールベース:2300mm
・車重:890kg
・エンジン:直列4気筒DOHC、1496cc
・最高出力:110ps/6400rpm
・最大トルク:13.5kgm/5200rpm
・燃費:14.6km/L(10・15モード)
・価格:160万円(1990年式5MT)
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