ホンダS2000。今なお評価が高く、ホンダの技術力を世に知らしめた伝説の一台である。生まれながらのスポーツの天才であり、エンジン、ミッション、サスペンションはもちろんボディ骨格まで含めて、すべてが専用の新設計で作られた。そんなS2000は発売当初ははどんな評価を受けていたのか。20歳アルバイターが当時の試乗記事をリバイバルしてみた。
この記事はベストカー1999年5月号(著者は竹平素信氏)を転載し、再編集したものです。
【画像ギャラリー】今のクルマに全然劣ってないでしょ!! S2000かっこよくね!?!?(10枚)画像ギャラリー■FFの呪縛から解放されたホンダ!! Sの復活はその宣言か
ついに正式デビューしたホンダS2000。試乗会場になった熊本で我々を出迎えてくれたスタッフは、とりわけホンダDNAの濃い持ち主がそろっていた。
柔和な顔のプロジェクトリーダーの上原氏はNSXの開発責任者を務めたスポーツカー造りの権威。
エンジン担当の乙部氏は’88年前半戦のF1監督で、それ以降もF1用のV10エンジンやV12エンジンを開発したレーシングエンジンのプロフェッショナル。
2Lで250馬力を発生し、レッドゾーンが9000回転という世界最高のNAエンジンはF1を経験したから生まれたのであろう。
考えてみれば、ホンダのFR車は1970年に生産中止となったS800以降、一度も登場していなかった。
スポーツモデルもFFで良しとしてきたし、後年になってビートとNSXというミドシップ車を登場させてきたが、最も走りが楽しいFR車はなぜか無視されてきた。
しかし、ことスポーツ車に限ってはFRレイアウトが好ましいことぐらい、クルマ好きなら誰もが分かっていることだ。もちろん、ホンダも分かっていた。
S2000のデビューはホンダの創立50周年記念車の意味もあるが、それ以上に戦略上、必然だったと思ったのだ。技術力を見せつけ、さらなるイメージアップを図る。
それだけに、初体験の高性能FRスポーツの開発は容易ではなかったはずだ。特にハンドリングの味つけにおいて、優秀なホンダの実験屋さんもおおいに迷ったのではなかろうか。
プロトタイプに何度も試乗させていただいた背景には、そのあたりのセッティングの迷いがあったのだろう。誰もが誉めまくったプロトタイプの走りだが、ボクには不満もあった。
一番気になっていたのはサスペンションとボディの一体感の不足で、そのためにヨーの発生にタイムラグが生じたり、ドリフトコントロール性の悪化などを生じていた。
プロトタイプはあくまで開発段階の試作車。そのあたりがどう解決されているか楽しみな試乗会であった。
試乗コースは阿蘇の外輪山のワインディングから一般路、さらにはテストコース(一周3kmほどのサーキット)での全開走行を含み、S2000の走りのすべてを堪能することができるコース設定になっていた。
4月の陽光を浴びながら走る。限られたテストコースの試乗と違って、一般路をオープンで走る気持ちよさは格別だ。機械を操りながら、自然と一体感を感ずることができる。
2人乗りというハンディはあるが、オープンの気持ちよさが、その代償だ。エクステリアはプロトタイプと寸分違わないが、中身は充分に熟成されていた。
気になっていたプロトタイプでの弱点もしっかり解消されており、思わずニンマリであった。S2000の走りは、とにかく”素晴らしい”の一言だ。
この表現に代わる言葉はまだ見つかっていない。それでは、細かく、このホンダS2000をチェックしていこう。
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