平成元年は日本の自動車界にとってエポックメイキングなモデルが続々登場した年だった。
当サイトでは「【令和に残る超名門】日本車奇跡の年! 平成元年誕生車の当時と今」と題し、平成元年に誕生し、現在も生き残る名門モデルを振り返った。
そして、本稿ではもう消滅してしまったものの、画期的だった平成元年誕生車を紹介。今はなきこの4台は、記録より記憶に残るモデルと言えるかもしれない。
文:渡辺陽一郎、岡本幸一郎
写真:NISSAN、HONDA、TOYOTA
ベストカー 2019年9月26日号
【画像ギャラリー】4台の子孫!? 今はなき平成元年誕生車の末裔は??
日本では一代で終了「インフィニティQ45」
初代セルシオに遅れること1カ月、11月に登場したQ45は私自身の評価はセルシオより上。というのも初代セルシオはデザインを含めて当時のクラウンの延長線上に位置していて、とにかく静粛性にこだわっていたトヨタとしてのクルマ作りの集大成モデル。
これに対し、インフィニティQ45は従来とはまったく違う新しい高級車像を目指していたことがよく表われていたモデルだった。
当時、テストコースで試乗したのをよく覚えているけれど、その旋回速度はセルシオを含めそれまでの日本の高級車とは桁違い。ほかのクルマが80点なら、このQ45は130点を与えられるくらいレベルが違っていた。
開発主査に聞いたところ、「このセダンで山を越えて海を見に行こう」というのが開発テーマだったらしく、乗り心地こそ若干硬かったものの、若干アンダーステア気味にして安定性を持たせていて当時のBMWにも似たスポーティな乗り味だった。
前後マルチリンクサスが採用され、個人的にはR32スカイラインやS13シルビアに並び、日産の「901活動」(1990年代に技術の世界一を目指す)の象徴だったと思う。
ただ、走り以外はセルシオに完敗。七宝焼きエンブレムのみのグリルレスマスクや質感こそ高いもののデザインのアクが強かったインパネ、背もたれが小さくチープなシートなど、マイナス点は多かった。
【渡辺陽一郎】
ホンダらしい独自の存在感発揮!「アコードインスパイア」
当時、独自の存在感を発揮していたホンダらしい面白いクルマだった。
その頃にいた会社の編集部での事前撮影会で、相模湖ピクニックランドに行った時に撮影したのだけど、よくぞ5ナンバーサイズでここまで伸びやかで美しいスタイリングを実現できたと感心したもの。
ロングノーズで超ショートオーバーハング、個人的にもカッコいいエクステリアだったと思う。
マークIIクラスのアッパーミドルサルーンとしてアコードの上級版という位置づけだったけれど、そのコンセプトはまるでカリーナEDのような「4ドアクーペ」。
マークIIがセダンよりもスタイリッシュなHTモデルが売れたように、このアコードインスパイアも大ヒット。ホンダには当時、2代目インテグラや3代目プレリュードなどクーペモデルがあったけど、そのユーザーに向けたモデルだったような気がする。
2代目以降はコンセプトを居住性に振ってアメ車のようになり、販売を落としたのは残念だった。
【渡辺陽一郎】
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