■コンプラアンスの概念なき時代の個人売買の個人情報さらし
筆者はかつて某自動車系出版社(もはやそういう属性も絶滅しつつあるが……)に編集ライター見習いとして出入りしていたのだが、当時担当していた自動車チューニング雑誌の企画に「売ります・買います」的な個人売買のコーナーがあった。
モノクロページの文字情報のみで売りたい読者と買いたい読者同士が150文字弱の文字情報を元にお互いでやり取りして売り買いするもので、今でいうマッチングサイトのようなものだ。
誌面から切り取り線で切り出した応募用紙に手書きで情報を記載し、封筒かFAXで編集部へと届いた読者の投稿を、ワープロ(死語だが……)でタイピング。起こしたテキストデータを3.5インチフロッピーディスク(これも死語だが……)に記録し入稿していた日々が懐かしい。
当時の誌面を引っ張り出してみると、そこには「MR2 S/C(AW11)価格20万応相談」、「180SX(RPS13)用触媒以降マフラー1万円以下」など、ネオクラシックなクルマからマフラーやスポイラーなどのチューニングパーツなどが読者同士の自己責任で活発に取り引されていた。
驚くべきは、お互いの連絡方法だ。売りたい者も買いたい者も、読者は本名はもちろん、自宅の電話番号や住所をそのまま誌面に記載。電話番号の後には「(22時以降)」など連絡を希望する時間帯まで記載するストロングスタイル。
その後、個人情報保護が法律で規定される以前までは、雑誌での個人売買はおおむねこのような形で行われていた。なんともおおらかな時代だった。
【画像ギャラリー】クルマの常識の移り変わりは激しい…(12枚)画像ギャラリー■進化した現代のクルマに時速100kmは遅すぎる!?
某走り屋漫画の金字塔で、主人公が駆るマシンが高速セクションを走る際、背後に聞こえる”キン・コン”という音、当時を知らない若い世代には気になった方もいるだろう。
1970~80年代の国産車は時速100km以上で走行する際、このような速度警告の警報音が鳴り、ドライバーに注意を促していた。当時のクルマにとってこの速度域が大きな負荷をかけるものであったためだ。
翻って現代。高速道路においての制限速度は、乗用車で時速100km、大型貨物自動車(車両総重量11t以上)や中型貨物自動車(同8t以上)が時速80kmと定めれている。
昭和の時代からクルマは劇的な進化を遂げ、今や時速100kmに到達するのはものの数秒、キン・コンでドライバーに警鐘を鳴らす必要もなくなったのだ。
さらに、乗用車について言えば、2016年に都道府県の公安委員会が指定した路線について指定速度の決定が下され、新東名や東北道、東関東道の一部区間では上限速度が時速110km、120kmとなっている。
特に新東名の「御殿場JCT~浜松いなさJCT」間の145kmにおける最高速度「時速120km」区間は、最高速引き上げの効果が体感できる区間だ。
交通量も多すぎず、走行車両の平均速度も比較的速い。昭和の“キン・コン”を知る世代には感慨深いものがある。
一方で、首都圏在住のドライバーに馴染み深いのは東関東自動車道の四街道IC付近~成田JCTの時速120km区間だろう。上りで約20km、下りで約18.5kmという限られた区間は主に渋滞緩和がその目的だという。
一方、大型貨物自動車の高速道路での速度制限も、2024年4月1日から従来の時速80kmから時速90kmへと引き上げられた。
これはインターネット通販の普及などトラックドライバーの人手不足をはじめとする物流問題の対策とのこと。いずれにしても安全面での不安など、解決すべき問題はあるが、自動運転をはじめクルマの性能が飛躍的に向上した現代では、制限速度のあり方も時代に合ったに改める必要があるだろう。
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