■作品全体に描かれた「家族愛」というテーマ
クセの強いキャラクターを数多く生み出した一方で、しげの先生は、この人物たちがつむぎ出す人生哲学や家族愛といった重厚な人間ドラマもしっかりまとめ上げている。家族愛と聞いて、まず一番に挙げられるのは、藤原文太と藤原拓海による父親と息子の物語だろう。
ドライバーとしても人間としても成長し続ける息子に、時にはアドバイスをし、時には静かに見守る。楽しみながらも、したたかに、そして愛情を持って息子を眺め続ける文太の心中にあるのは、親子愛以外の何物でもない。
また、高校3年といういろいろな意味で多感な時期でもある拓海は、反発心を胸に抱えながらも、天才的なドラテクを持つ父親への尊敬を隠さない。クルマにのめり込むようになり、父に近づこうとあがき続ける姿からも親子愛が感じられるのだ。
主人公である拓海にとって最大のライバルとして立ち塞がり、後に最強の仲間となる高橋涼介、高橋啓介の兄弟も、この作品では家族愛を披露している。華々しくも孤高の存在である兄、異様な存在感を放ちながら頂点を目指す弟、まったくベクトルの異なる性格でありながら、お互いを一番の理解者と認識し、バトルごとに協力し、頼りにし合う2人の姿からは、兄弟愛の味わい深さはもちろん、崇高ささえ感じられる。
「チーム」を「家族」と例えるならば、登場人物たちが仲間たちと協力して奮闘する姿も、家族愛に溢れたシーンと言えよう。作品初期の拓海はともかく、プロジェクトDが結成されて以降のバトルでは、走り屋の「チーム」という組織の連動がリアルに描かれてる。読んでいるこちらとしても、仲間を思う気持ちに心を動かされるし、それぞれのチームに骨格と歴史があって、チーム戦では芳醇な群像劇が繰り広げられるのも興味深い。
■キャラクターたちのクルマ愛に学ぶ
実際、1990年代当時の峠の若者たちの一部には、周囲の冷たい視線や非難から逃れ、必然的に峠に集まってきて活動していたような部分があった。それだけに彼らのクルマ愛は深く、『頭文字D』においても同様に、登場人物たちの深いクルマ愛が描写されている。時には愛車を壊して悲嘆に暮れる姿もあれば、そのメカニズムの優秀さを豪胆にアピール姿だって見られる。
作品を通してバトルシーンを振り返っても、マンガ的ダイナミズムに満ちた場面の宝庫だし、何より登場人物たちが運転する姿はいちいちカッコいい。RX-7はもちろん、カローラレビンもカプチーノも、キャラクターらを彩る愛車たちが、どのクルマもドライバーとセットでいい味を出してて、古いクルマがなんでもいいとは思わないが、現代のクルマの数倍はカッコよく見えるから困ってしまう。
余談だが、作品の舞台が公道だからこれまた面白い。これがサーキットだったら読者たちはあれほど熱狂しただろうか。ドライバーたちがヘルメットにレーシングスーツでバトルをするのではなく、それぞれのキャラクターや性格が表れた重い思いの姿で運転しているのも親近感があるし、実際に存在しそうな(する?)峠道を舞台に、それぞれの思惑が交差するバトル展開もどこかリアルでスリリングである。
もちろん、単にバトルシーンだけを切りとっても楽しめるのがこの作品の素晴らしいところだが、登場人物のルックスや走り方、ホームコースなどからは、各キャラの日頃のカーライフさえ垣間見えるところが、作品としての面白さに拍車をかけている。最もそれがわかるのは、当然、主人公の拓海だが、彼の日常生活はもとより、クルマに興味がなかったのに、走りの資質に目覚め、次第に最強のダウンヒラーへと変貌していく姿からは、カタルシスを感じられる。
そして、そんな拓海にとってのラストバトルは非情な終焉を迎える。クライマックスはハチロクのエンジンブローであり、その場面は、残酷なはずなのに美しい、マンガ史に残る屈指の名シーンである。
しかし後日、拓海は、あの時「ハチロクに何か意思みたいなのがあって…」と語っている。クルマに意思がある、これは本当にクルマを愛したからこそ言えるセリフである。まさに主人公が、愛車との理想の関係を築けた瞬間、このクルママンガの不朽の名作は終わるのだ。
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