■尽きないZへの思い
「ひと目惚れでした」竹内章さんが語るのは、自動車好きにはよくあるクルマとの出会いだった。通りがかりの中古車店でその姿を見て購入を即決した。
表示価格は当時の年収の約2倍320万円(!)。しかし揺るがなかったという。
「それまでフェアレディZというクルマに取り立てて関心はなかったんです。あれから39年になりますが、今では生活の中心ですね(笑)」
フェアレディZ432-Rは、ただでさえ稀少な432の競技用限定版として位置づけられる。
●初代フェアレディZ432-R
全生産50台の内20台は日産ワークスが使用。残りは市販され、どういう経緯かナンバー付きが約20台現存しているという。
私が432-Rの実物を見るのはこれが生涯初である。グランプリオレンジの専用色にマットブラックのFPRボンネット。
懐かしデザインのマグネシウムホイールを履く。内装ではグローブボックス、外観では給油口の蓋さえ廃し徹底した軽量化が遂行されているが、トランクには645-14バイアスタイヤ+鉄ちんホイールが鎮座する。
当時はバイアスタイヤが主流。S30ZもPGC10GT-Rもそれが標準装着だったが、そこまでオリジナルにこだわる?
「6年前にレストアしました。有鉛ガソリンとOKマークのシールですか? 再現復刻版が市販されているんですよ」
絵になるフルレストアは、現行34Zとのツーショットでは“何も盛っていない”素の美しさを際立たせる一方で、後戻りができない過去のスケール感への郷愁を掻き立てる。
傍らで目を細めるのは昭和のZ使い柳田春人。その名が知れ渡るレジェンドに敬称は不要だろう。
私は1973年、まだ富士SWがバンク付きの6kmフルコースだった時代に現役時代の柳田春人を見ている。
グループ7の2L GC(グランチャンピオン)マシンとZ中心の3L GTSクラスとの混走。
雨のGCを制したレースの記憶は曖昧だが、日産レーシングスクールを受講した際に面識はあったかもしれない。
無名時代の鈴木亜久里を日産に引っ張ったのは柳田さん。1985年までモータースポーツ記者会に属していた私は今はなき『O3』で両者の関係を知った。
ちなみに私個人としては、その年にシルエットフォーミュラのブルーバード、グループCのLM03=コカコーラターボCに試乗する取材機会で知己を得ていた。
「柳田さんのZにはスクリューが付いているんですか? って冗談を言われたこともあるけど、240Zが雨中でGCマシンにアドバンテージを持っていたのは確かだね」
●日産 現行フェアレディZ 50thアニバーサリー
チューニング界では最終的に3L超+ターボまでスケールアップされたL型直6だが「レースでは2.8Lだとトルクが出過ぎてかえって乗りにくい。それでボアアップは2.6Lに戻したんだ」
今回取材した432-R。「俺このマシンでブラジルに遠征しているよ。1979年20歳の時だったかな。
ボンネット下のS20を見た現地の人がこれ何Lって聞くから、2Lだよと答えると目を丸くしていた。確かにヘッドカバーの大きさで見ると3~4Lの雰囲気だよね」
今回の取材で顔を揃えた3人はいずれも還暦過ぎのオッサンだが、50年のロングライフを生きるZのルーツに熱い思いを寄せることでは人後に落ちない。
S30の楽々5ナンバーに収まるスリーク&ライトウェイトボディは、クルマの技術と性能が人(の能力)に近かったあの時代ならではだったことに、今さらながら気づかされる。
今回取材の足にマツダロードスター(ND)を使ったのは偶然だが、ソレックス3連で160psを得るS20とロードスターの1.5Lは現行の測定法ではほぼ同等。車両重量も近似値にある。
「重ステ/エアコンレスは毎日が修行ですが、今も年間8000kmは走ります。ライフワークですね(笑)」と竹内さん。
今年最高気温(?)に見舞われたこの日。Z好きの談笑は尽きることがなかった。
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