2019年8月、37年もの歴史に幕を閉じた三菱パジェロ。クロカンSUV人気の火付け役として有名なクルマであり、パリダカで何度も優勝を成し遂げた、日本のモータースポーツのレジェンドカー的な存在でもあります。
今回はパリダカで伝説とともに、パジェロと三菱が辿った軌跡を振り返ってみたいと思います。
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文:佐々木 亘/写真:MITSUBISHI
■「パリダカ」とは何か?
「パリ・ダカールラリー」とは、もともとはアフリカ北西部の砂漠を中心として行われていたレースで、その走行距離は約10,000kmを超え、「世界一過酷なモータースポーツ競技」といわれています。
1978年に第1回が開催され、当初は、スタートがパリ、セネガルのダカールをゴールとすることを基本としていましたが、年ごとに走行コースが変更され、2019年は、南米のペルーにて開催されました。
パリやダカールと、全く無縁の地を走ることとなったレースですが、現在も「ダカール・ラリー」という名称で、毎年一月に開催されています。
ちなみに、来年のダカール・ラリー2020は中東のサウジアラビアで行われます。
■パジェロの歩んできた道
ラダーフレームを採用したクロカンモデル「パジェロ」が産声を上げたのは1982年のことです。
発表の翌年、三菱はパジェロの実力を国内外に示すため、パリダカへと参戦します。初参戦にもかかわらず、パジェロは市販車無改造T1クラスでクラス優勝、総合でも11位と、パジェロの名を一躍世界に知らしめました。
1985年には、プロトT3クラスへのステップアップをし、いきなり総合優勝を成し遂げます。
この年は、マラソンクラス、市販車無改造クラスでも優勝し、完全優勝を果たした年でもあります。
1991年、パジェロは2代目へとフルモデルチェンジを行いました。1985年に総合優勝を果たして以降、勝利から遠ざかっていたパジェロですが、再びパリダカの頂点に君臨するための戦いがスタートします。
その努力はすぐに実を結び、1992年総合優勝、そして翌1993年も総合優勝し、連覇を成し遂げます。
そして、1997年、日本人ドライバーとして初めて、篠塚建次郎選手がパリダカで総合優勝し、「日本人が日本のクルマでパリダカを制覇する」という、最高の結果をもたらしました。
1999年には3代目パジェロが登場します。
これまで搭載してきたラダーフレームと、モノコックボディを組み合わせ、今までよりも剛性を高めた「ラダーフレーム・ビルトインモノコックボディ」に変更されました。
この3代目パジェロで、増岡浩選手が2002年と2003年に日本人2人目の総合優勝を果たします。また、2001年以降続く「7連覇」という、偉業の始まりとなったクルマでもありました。
連覇の最中、2006年に4代目へとモデルチェンジをしました。この時は、その2年後にパリダカから三菱が撤退するなど、誰も想像もしなかったでしょう。
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