■フローリアン デボネア…化石になっても生きていた【シーラカンス型】
シーラカンスとは、3億年前の形態のまま現在も生きながらえている古代魚。20世紀になってから生存が確認され、世界に衝撃を与えました
シーラカンス型は、国産車ではこの2台のみ。ともにあまりにも人生(車生)が長すぎたことで、最後は生きる化石となりました。
フローリアンが生まれたのは1967年。デザインはイタリアのカロッツエリア・ギアで、生まれた時はオシャレだったんだけど、1983年まで17年間も生産され、最後のマイチェンでアメ車みたいなフロントマスクにされたことで、末期は絶句するような化石デザインに。メカも化石でしたが。誰が買ってたんだろ……。
●いすゞ フローリアン(1967年-1983年)
初代デボネアの誕生はさらに古くて1964年。アメ車の影響を強く受けたデザインが、そのまま22年間も存続したんだから、そりゃ生きる化石にもなるわな。でも最後まで三菱系列の社用車&ハイヤーとして活躍してたヨ!
●三菱 初代デボネア(1964年-1986年)
どっちも化石すぎて、逆に非常に目立ったので、地味どころかハデだったとも言えます。ここまで来れば「きんさんぎんさん」ですね。地味扱いしてスイマセン。
■ユーノス500 ほか…バブル期に大量発生【マツダバブル型】
バブル景気に乗り、1989年に始まったマツダの5チャンネル体制。それに伴って大量の新型車が生まれ、その多くが4ドアセダン&ハードトップだった。
●ユーノス500(1992年-1996年)
この時期のマツダのセダンたちは、その多くが非常にスタイリッシュで、見た目は地味じゃないんだけど、どれもこれもまったく売れず、種類も多すぎたことで覚えられず、結果的に地味な存在に。
大量発生ゆえの地味は、国産車史上これだけだネ!
■マキシマ セプター アバロン…派手なはずなのに影が薄い【地味アメリカン型】
若年寄型と窓際オヤジ型は、ともに急速に姿を消しつつあるが、それに代わって地味セダンの主役となったのが、地味アメリカン型である。
1980年代以降、日本車メーカーにとって北米は金城湯池となり、国産セダンは北米市場に合わせて徐々に巨大化していった。
そのデカいセダンを日本市場にも投入するものの、デカいだけであまりゴージャスでもなく速くもなく、つまり日本の需要にマッチせず、結果的にあまり売れずに地味な存在としてかすかに記憶に残る……というサイクルが繰り返されているのでございます。
地味アメリカン型のパイオニアは、1988年の日産マキシマだろうか。大らかな3ナンバーボディ&V6は専門家ウケしたが、売れなかった。
●日産 3代目マキシマ(1988年-1994年)
対するトヨタは1992年から、北米カムリを「セプター」として逆輸入。セプターワゴンはそこそこ売れたが、セダンはやっぱり「ただデカいだけ」で売れなかった。
●トヨタ セプター(1992年-1996年)
トヨタは懲りずに1995年から北米トヨタの最上級セダンだったアバロンを日本に投入! 国内最大級の居住性を誇ったが、同じく売れず。2代目アバロンも「プロナード」の名前で売ったものの、これも広い以外にウリがなく、販売は低迷したのでした。
現行モデルでは、ホンダ・インサイトやスバル・レガシィB4がその典型。見た目はグローバルモデルらしくスタイリッシュだし、北米ではそこそこ売れてるけど、日本に持ってくるとどうしても「ただ広いだけ」って感じでココロに刺さる部分がなく、地味になるのですね……。
●トヨタ アバロン(1995年-1999年)
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