■“ほぼ専用設計”異例づくめのNSXとタイプR誕生
NSXは、年号が昭和から平成に変わった1989年2月に初めて姿を現した。お披露目されたのはシカゴショーで、このときは「NS-X」を名乗っている。
参考出品から正式発表までの1年半、NSXはテストコースだけでなくドイツのニュルブルクリンクサーキットに持ち込まれ、過酷な耐久テストを行った。評価ドライバーにはF1ドライバーのアイルトン・セナと中嶋悟も名を連ねている。
1990年9月14日、NSXは秘密のベールを脱いだ。ほとんどの工程を専用設計としたNSXは栃木に専用工場を建設し、ここで1日25台のペースで生産を行っている。期待のスーパースポーツの開発には膨大な投資を伴ったが、ホンダは800万円というバーゲン価格で販売を開始した。これも大胆な販売戦略だ。
が、初期モデルはハンドリングにクセがあった。コーナリング中に駆動力が抜けたり、ウエット路面になると挙動が落ち着かなかったのだ。また、リアタイヤの磨耗も驚くほど早いなど、バランス感覚は今一歩だった。
ホンダのエンジニアはこれらのウイークポイントを短期間のうちに修正し、実力をフルに引き出せるように改良している。
1992年11月にはレーシングテクノロジーを結集し、ドライビングプレジャーを徹底的に追求したNSX「タイプR」を限定発売の形で送り出した。極限まで軽量化(120kg)した究極のNSX、それがタイプRだ。
1995年春のマイナーチェンジでは時代を先取りしたドライブ・バイ・ワイヤやシーケンシャル4速ATを導入し、ルーフ部分を脱着できるタイプTも投入。
また、1997年2月にはタイプRを惜しむファンの声に応えてタイプSを追加。エンジンはC30A型に代えて3.2LのC32B型V型6気筒DOHC・VTECを搭載。5速MTはクロスした6速MTへと進化した。
また、レカロ製のフルバケットシートを装備し、サスペンションは専用チューニング、アルミホイールはBBS製の鍛造だ。
2001年、大胆なフェイスリフトを行い、ヘッドライトを固定式に変更している。そして2002年5月には第2世代のNSXタイプRが登場。軽量化に加え、オートクレープ製法を用いたエアロパーツなどでエアロダイナミクスを向上させている。
■NSXが変えたスーパースポーツの常識と現在
NSXは、走りの実力が問われるスーパースポーツの世界で15年以上も日本を代表するスポーツカーの座に君臨し、ヨーロッパのスポーツカーのその後に多大な影響を与えた。
NSX以降のスーパースポーツは快適性が飛躍的に高まったし、信頼性も大きく向上している。常にライバルの目標であり続けたのは、基本設計が素晴らしかったからだ。
2005年夏に販売を終了したが、それ以降もNSXは憧れの存在であり続けている。多くのスポーツカーに刺激を与えたNSXの生産打ち切りから11年、2代目NSXが姿を現した。
3.5LのV型6気筒DOHCツインターボに加え、モーターを加速やコーナリングに活かした3モーター・ハイブリッドのスポーツハイブリッドSH-AWDを採用し、トランスミッションはツインクラッチの9速DCTだ。
アメリカ生まれ、アメリカ育ちの2代目NSXは痛快な加速を多くの人が楽しめ、トルクベクタリングの採用によって気持ちいいコーナリングを楽しむことができる。
だが、初代と違ってクルマが重いから軽快感は薄く、操る楽しさもちょっと物足りない。
2代目のNSXが登場した今になると、初代モデルの魅力が再確認できるし、凄さもよくわかる。初代NSXは、不世出のスーパースポーツだった。
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