【もし武将がクルマを選んだら】武田信玄、徳川家康、大谷吉継は何に乗る?

【もし武将がクルマを選んだら】武田信玄、徳川家康、大谷吉継は何に乗る?

 一番最初に申し上げておきますと、当企画は完全なる独断と偏見と思い入れによって構成されており、(特定の分野に詳しい方は特に)読んでいると「いやいやこの人はそうじゃない」、「待て! あいつはこれだろう!!」と言いたくなってくる可能性が多々あります。

 ですので、「こういう意見もあるな」ですとか「変なことやってるなー」と心安らかに読める皆さまへ向けてお送りする企画となっております。

 その点、大変ご面倒ではありますが、ご了解いただけますと大変幸いです。それでは独断と偏見と思い入れたっぷりの企画、ご笑覧ください!(by編集部)

文:以下、清水草一
ベストカー2017年10月26日号より


■戦国黎明期編

 先般、光岡自動車はわずか4台の限定で『ヒミコ 乱』なるクルマを発売した。戦国武将をイメージし、内外装に金をあしらっている。

 戦国時代は超マッチョ趣味の時代。目立ったもん勝ちのギトギトハデハデのなかにワビサビ……みたいな時代であった(たぶん)。

 そんな時代、もしもクルマがあったなら? 戦国武将たちはどんな愛車を選んだであろうか? 読者諸氏もしばし戦国時代のド庶民となり、華やかかつ血と汗のほとばしる、武将たちの世界に思いを巡らせていただきたい……。

■北条早雲 →トヨペットクラウン

 戦国時代の夜明けは、伊勢新九郎こと北条早雲の国盗りから始まった。成り上がり者が国を盗る。そんな下克上の時代は、知謀に長けた老獪な武将・北条早雲が、伊豆の国を奪ったのが嚆矢であった。

 そんな早雲公がクルマを選ぶとしたら、初の国産乗用車であるトヨペット・クラウン以外あるまいて。至極順当也。

■武田信玄 →トヨタ 初代セリカ

 言わずと知れた甲斐の信玄公。その戦法は「風林火山」と謳われた。風の如く速く、火の如くスポーティで、山の如く安定したフォルムといえば、ダルマと呼ばれた初代セリカがピッタンコ。

 「林はどうしたんだ」と突っ込まれるかもしれぬが、そこは思いつかなんだ。スマヌ。

 ちなみに信玄公の風貌は、ダルマっぽいというのがかつての定説だったが、現在は結核病みの痩せ形であったとされている。なんというか、重ね重ねスマヌ。

■上杉謙信 →スバル 初代レオーネ

 武田信玄が龍であるなら、虎は越後の上杉謙信。川中島での五次におよぶ合戦は、戦国きっての名勝負である。

 謙信公は義の人。領土的野心より関東管領という名を優先し、計十三度も関東に遠征。雪の三国峠を越えた。

 そんな謙信公なら、四輪駆動や水平対向エンジンといった「義」を重んじ、雪道に強い初代レオーネ4WDを選ばれたに相違なかろうて……。

 上州・厩橋城(現在の前橋市にあった)は、謙信公の関東における本拠地でもあったしのう。群馬群馬群馬。

■毛利元就 →トヨタ コロナマーク2

 小豪族から中国の覇者まで登り詰めた毛利元就。深慮遠謀により戦わずして勢力を伸ばしつつ、乾坤一擲の一戦(厳島の戦い)に勝利したその姿勢は、どこかトヨタ的である。

 元就公といえば「三本の矢」の逸話。3人の息子に結束を誓わせた元就公が選ぶのは、コロナマーク2であろう。

 元就公の遺言を守った息子たちは、後年マークII、チェイサー、クレスタの三兄弟へと発展し、我が世の春を謳歌したのであった。めでたし、めでたし。

■織田信長 →トヨタ 2000GT

 信長公は、それまで誰一人夢想だにしなかった天下布武を初めて構想した、まさに戦国時代きっての革命児。兵農分離や、特権を持つ商工業者を排除して自由取引市場を作る楽市楽座などの政策も、まさに革命的である。

 南蛮文化に惹かれ、絢爛豪華な安土城を築いたことから見ても、彼が選ぶべきクルマは、日本初のスーパーカーでありボンドカー、トヨタ2000GT以外にあるまい! まさに孤高の革命児にふさわしかろう。人間五十年。

次ページは : ■関ヶ原の決戦編

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