■石田三成 →ホンダ シビック
西軍を束ねる総大将ではあるが、理に走りすぎ人望薄く、戦下手であった。その姿はどこか新型シビックと重なるものがある。
シビックといえばホンダのビッグネームだが、あまりにも肥大化したその姿は、ここ日本においては惜しいかな、人望薄く、販売は苦戦が予想される。
■大谷吉継 →ダイハツ ウェイク
三成との友情により、あえて西軍に与した大谷刑部。合戦時にはハンセン病を患い、目は見えず歩行もままならないながら、輿に乗って指揮を執り、一時は小早川勢を撃退する奮戦ぶりを見せた。
その姿は、まるで輿に乗せたかのように背が高い軽自動車・ウェイクのようにドデカく感じたとのことである。
いっぽうその頃遠く信州の地では、一地方武将が大軍を釘付けにしていた……。
■真田昌幸 →スズキ ソリオ
西軍につき上田城に籠った知将・真田昌幸。わずか2千の兵力ながら、中山道を美濃に向かって進軍してきた徳川秀忠率いる3万8千の兵を、見事なゲリラ戦で大いに惑わし、結果的に関ケ原合戦に遅参させた。
その姿は、トヨタ軍団が繰り出すタンク4兄弟を前に一歩も引かぬソリオのようであった。
ということはその昌幸にしてやられた徳川秀忠は、タンク4兄弟を愛車にしていたということかのう……。
■島津義弘 →日産 GT-R
関ケ原合戦の掉尾を飾ったのは、島津軍の中央突破による捨て身の撤退戦であった。
義弘公は朝鮮の役(文禄・慶長の役)、泗川の戦いにて、わずか4千の兵で8万の明の大軍を撃破し、「鬼石曼子(おにしーまんづ)」とその名を明国にまで轟かせた武勇の誉れ高い名将。
そんな義弘公が乗るべきクルマといえば、実質的に世界最強のマシンであるGT-Rしか考えられぬわ!
■小早川秀秋 →マツダ アクセラHV
関ケ原の勝敗を決したのは、結果的にはこの青二才の裏切りであったことはつとに有名。当初より東西どちらに付くか決めかねていたその姿は、マツダながらトヨタのハイブリッドシステムを搭載したアクセラHVをほうふつとさせる。
関ケ原のわずか二年後に早世したが、アクセラHVも販売不振にて、命はそう長くないかもしれぬのう……。
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