■毛利元就 →トヨタ コロナマーク2
小豪族から中国の覇者まで登り詰めた毛利元就。深慮遠謀により戦わずして勢力を伸ばしつつ、乾坤一擲の一戦(厳島の戦い)に勝利したその姿勢は、どこかトヨタ的である。
元就公といえば「三本の矢」の逸話。3人の息子に結束を誓わせた元就公が選ぶのは、コロナマーク2であろう。
元就公の遺言を守った息子たちは、後年マークII、チェイサー、クレスタの三兄弟へと発展し、我が世の春を謳歌したのであった。めでたし、めでたし。
■織田信長 →トヨタ 2000GT
信長公は、それまで誰一人夢想だにしなかった天下布武を初めて構想した、まさに戦国時代きっての革命児。兵農分離や、特権を持つ商工業者を排除して自由取引市場を作る楽市楽座などの政策も、まさに革命的である。
南蛮文化に惹かれ、絢爛豪華な安土城を築いたことから見ても、彼が選ぶべきクルマは、日本初のスーパーカーでありボンドカー、トヨタ2000GT以外にあるまい! まさに孤高の革命児にふさわしかろう。人間五十年。
■関ヶ原の決戦編
話は飛ぶが、戦国も紆余曲折あり、慶長五年九月十五日、ここ関ケ原の地にて、東西両軍合わせて十八万の兵が激突する決戦と相成り申した。
では、両軍の将が選んだであろう名馬、もとい愛車を、順に見て行こうではないか。ここからは時代が新しくなったことだし、現行車から探す。
■徳川家康 →トヨタ カローラアクシオ
天下の声望を集める内府殿であるが、その生活は質実剛健、常に健康に気を配り、食は質素、女は下女タイプを好んだ。さすがである。
下女タイプを好む内府が乗るのは、平凡ながら問題なく走り、しかも世界一売れているカローラしかあるまい。後に「大御所様」と呼ばれる家康公ならではの、大御所すぎる達観のクルマ選びである。
■本多忠勝 →日産 スカイライン
そんな家康公に寄り添う徳川四天王の一角、ボディガード役といえば本多忠勝。「ただ勝つ」の名のとおり、生涯五十七度戦って、かすり傷ひとつ負わなかったといわれる。
彼が乗るのは、無敵の四十九連勝を記録したスカイラインである。むろん四十九連勝は遠い過去の物語で、現在のスカイラインは似ても似つかない北米向けセダンだが、古風で武骨な武闘派は、なによりも名と歴史を重んじるのであった。南無三。
■黒田長政 →スバル レヴォーグ
父の黒田官兵衛(如水)に似ず、若かりし頃は猪突猛進型の武将であったが、長じて調略にも長けた知謀の人となった長政。彼こそ小早川秀秋の裏切りを演出した、関ケ原合戦の陰の主役である。
長政が重んじたのは、なによりも情報。情報収集能力でクルマを選べば、ツーリングアシストを搭載したレヴォーグであろう。昔の土臭いスバルからの変身ぶりは見事であるぞ。よきにはからえ。
■加藤清正 →トヨタ ランドクルーザー200
豊臣政権下における朝鮮の役で大活躍した加藤清正。虎退治の逸話が有名だが、蔚山城の戦いでは数万の明・朝鮮連合軍に包囲された城に舟で乗り込み籠城、撃退に成功している。
その逆境での強さは、熊本城という鉄壁の守りを誇る城を築いたことでも証明できると言えようか。関ケ原合戦においては、九州にて東軍陣営として奮戦した。
そんな清正公が乗るべきは、砂漠で無敵の信頼性を誇るランドクルーザー以外に考えられぬ!
■福島正則 →スバル WRX STI
東軍きっての猛将といえばこの人。関ケ原においても、戦いの口火を切ったのは正則公。攻めしか頭にない古典的猪武者である。
そんな彼が乗る馬は、当然古典的な武闘派でなくてはならぬ。となれば、リアウイングも雄々しく、6MTのみで突っ走るスバルWRX STIしかありえぬぞ。
というわけで、ここらで東軍所属武将を終え、次はいっぽうの西軍を見てみよう。
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