コンパクトカー、時代によって少し見方が変わるのだろうけれど、まあ、排気量1L前後のエンジンを持ち、全長4m前後、といったようなところだろうか。
「Bセグメント以下」などというよりも、クルマ好きの目線で「心に残る小さいけれど魅力的なクルマ」を選び出してみよう。
そういいつつ、名前を挙げたらけっこうな数があがる。まずは、選に漏れたクルマを並べてみると、日産Be-1、ダイハツ・シャレード「ディーゼル・ターボ」、ホンダCR-X… …。
これらはメジャーにはなり得なかったけれど、大いに「心に残る…」存在だ。語らせてくれたらいろいろ書いておきたくなる。
しかし、それは個人的な好みが強すぎる。もっと一般的なコンパクトカーを選んでくださいよ、といわれるに決まっている。それでは思い直して、年代順に選んだ5アイテムを紹介しよう。
文:いのうえ・こーいち/写真:ベストカー編集部
■トヨタ・パブリカにはじまる日本のコンパクト
「国民車構想」をトヨタ流に解釈して小型車として仕立てた、元祖コンパクトカーといっていいのがパブリカだ。
1961年、まだクルマが一般家庭に浸透するまえ、その尖兵の役を果たしたことでも忘れられない。サイズやスペックなど、小型車の公式などない時期。すべてをゼロから考えてつくり出された。
定員4名、最高速度100km/h、350~500ccのエンジンで1Lあたり30kmの燃費などが「国民車構想」として掲げられた要目であったが、パブリカはそれをひと回り越える性能を備えていた。
空冷水平対向2気筒の0.7Lエンジンは28PSを発揮し、600kgあまりの軽量ボディを最高速度110km/hまで導いた。ホイールベース2130mm、全長3.6m前後というのがパブリカ、元祖コンパクトカーの基本スペックであった。
できるだけシンプルにして価格を抑える、という方針だったが売れゆきは今いち。装備などを向上させたデラックス・モデルやスポーティなコンヴァーティブルを追加して、初めて販売に火が付いた。
コンパクトカーであっても、チープだと売れない、というわが国のマーケットの性格はこの時代から、であったようだ。
■1960年代後半、一気にクルマが普及
1960年代後半になると、一気にクルマが増えてくる。それを象徴的のが「サニーvsカローラ戦争」だ。
名コンパクトカーという趣旨から、ここでは半年先に発売された日産サニーを推す。1966年4月に発売されたサニーは、「技術の日産」のキャッチのもと、1.0L、56PSエンジン搭載、よくまとまったコンパクトカーとして印象深い。
半年遅れて11月に発売されたトヨタ・カローラは、「となりのクルマが小さく見えまーす」のキャッチのもと、1.1L、60PSエンジンを搭載しサニーを挑発した。
その後も、サニーが1.2Lに拡大すれば、1.4Lにするなど、競いながらどんどんスケールアップ。
結局、サニーはふたたびコンパクトカーの位置を確保するために1970年にチェリーをデビュウさせたのだった。
サニー、カローラとほぼときを同じくして、1台のユニークな小型車が姿を現わした。まさしく独創性を際立たせたそれは、のちのち個性的なスペックで割拠する日本車のなかにあってそのポジションを確保したのだ。
そう、スバル1000である。水平対向エンジン、前輪駆動などといったメカニズムは、のちのちのスバルの方向性をも定めたようなもの。
前輪駆動はいち早く4WDへと進化するが、水平対向エンジンはいまもスバルのアイデンティティのように輝くつづけている。最初のスバル1000は977cc、55PSであった。
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