日本車にはライバルとの切磋琢磨で成長をしてきたクルマも多い。それこそインプレッサとランエボのように、世界レベルでの競争をして成長してきたクルマもある。
日本車のライバル競争で多いケースが「あの時まではうまくいっていた、いい勝負をしていたのに、あの失敗が命取りになり再浮上は絶望的になってしまった」というもの。
しかしライバルとの競争になぜ負けたのか、そしてなぜ勝ったのか? 天下分け目の戦いに挑んだクルマたちを振り返る。
文:永田恵一/写真:ベストカー編集部
■サニー vs カローラ 末裔までもが消えたサニー
高度成長期の1966年2月に初代モデルが登場した日産サニーは、大衆車というジャンルを開拓したクルマである。
一方のトヨタカローラはサニーを追うように1966年10月に初代モデルが登場。「シンプルで質実剛健だけど、よく走る大衆車」というキャラクターだったサニー。
それに対し、カローラは「排気量や装備といった主にスペックがサニーよりちょっと上」という手法で、サニーに対し優勢を保っていた。
それでもサニーはFRだった4代目モデルまでは、モータースポーツでの活躍も後押しした日産車らしいスポーツ性もあった。
また1985年登場の”トラッドサニー”と呼ばれた6代目モデルではボディ剛性の高さや徹底的なオーソドックスさといった個性があり、カローラに対しそれなりに善戦していた。
しかし1990年登場の7代目モデルは一見6代目モデルのキープコンセプトだが、どうも強いポリシーに欠けるクルマになってしまった。
さらに翌1991年に登場した7代目カローラはバブル期の申し子のような“ゴージャスな大衆車”という強いキャラクターだったのもあり、7代目サニーはそれなりには売れたものの、周りに埋もれることに。
その後サニーは「乗ればいいクルマなのだけど、個性が薄かったり、カッコ悪い」というモデルが続き、2004年に初代ティーダに役割を託す形で日本での歴史に幕を閉じた。
現在はといえば、カローラは苦しい部分もあるのは事実ながら5ナンバーで存続。カローラスポーツとしてもその車名も維持しており、今後も安泰だろう。
それに対しサニーの末裔は後継車すらないという有り様である。思い返せば1990年の7代目サニー、そこが天下分け目だったのかもしれない。
■一時はライバル関係も今や…… クラウン vs セドリック/グロリア
初代モデルが“初の純日本車”として1955年に登場したクラウンは、歴史も含め現在まで代表的な日本車の地位を不動のものとしている。
一方のセドリック/グロリアは日産とプリンスの合併で1971年登場の230型から双子車となる。
そんなセドリックとグロリアは1979年登場の430型までは、1971年登場の「クジラクラウン」と呼ばれた4代目クラウンがアヴァンギャルド過ぎるスタイルで自滅したこともあり、善戦が続いた。
だが、1983年登場のY30型はクラウンに対する明確なアドバンテージがない点を主な原因に失敗。
しかし、その次の1987年登場のY31型では開き直るように「とにかくクラウンとは違うクルマになるんだ!」という強い決意を持ち、このクラスのセダンにはそれまでなかったスポーツ性を持つグランツーリスモを設定。
さらに社会現象にもなった初代シーマの登場により、トヨタが危機感を持つほどクラウンを追い詰めた。
さらに1991年登場のY32型もキープコンセプトながら同じ年に登場した9代目クラウン、特にロイヤル系のスタイルに押し出しが欠けていたのも追い風となり、Y32型も十分な成功を収めた。
だが1995年登場のY33型はY31型からのキープコンセプトが三世代に渡って続いてしまったのに加え、クルマ自体の出来も今一つ。
同じ年に登場した10代目クラウンが「クラウンらしさ」を取り戻したのもあり、それまでの勢いがウソのように低迷してしまった。
その後セドリック/グロリアは日産自体が危機に陥ってしまったこともあり浮上することはできず、2004年に絶版。フーガが後継車となった。
しかし今はといえば、クラウンはモデルチェンジを繰り返しながら強い存在感を保っているのに対し、フーガは現行モデルが9年目。
クルマ自体は悪くないものの、さすがにモデルチェンジをしているクラウンと比較すれば存在感を大きく失っている。
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