■ユーザー、ファン、評論家たちの評価は予想どおりだったか? チーフエンジニアの想い
続いては86のチーフエンジニアを務め、今も世界各国で86が発売されるさいには引っ張りだことなっている多田哲哉氏に、これまでの1年間を振り返っていただくとともに、今後の進化について語っていただいた。
* * *
【編集部】よろしくお願いします。
【多田哲哉CE(以下多田)】今日は楽しみにしてきましたよ(笑)。
【編集部】まずこの1年、86関連の出来事で一番嬉しかったのはどんなことでしたか?
【多田】いろいろありますが、一番は今年の東京オートサロンですね。「いずれは会場にたくさん飾られるといいな」と思っていましたが、まさかデビュー1年たらずで86とBRZが91台も出展されるとは思っていませんでした。うれしいを通り越して腰が抜けそうなくらいです。(笑)。
【編集部】確かに壮観でした。
【多田】出展車両もそれぞれチューナーの思いや工夫が詰まっていて、チューナーの方ひとりひとりとじっくり話をしたいくらいでした。86の開発にあたり掲げた目標のひとつである「メーカー、ユーザー、チューナー、携わる全員がクルマを育てていく」という狙いは、着実に実現していると思います。
【編集部】今後もますます増えていくでしょうね。そういう意味でこの先も楽しみです。
【多田】ええ。今から来年の東京オートサロンと、今年の秋に開かれるアメリカのSEMAショー(アメリカでオートサロンに当たる、改造車が中心のオートショー)が楽しみなんです。去年のSEMAショーはデリバリーが間に合っていない状態でしたから。
【編集部】86はモータースポーツでも活躍しました。
【多田】それにも驚きました。86は速さだけではなく、ストライクゾーンを広くとるクルマを目指して開発してきましたが、正直いってラリーでは「軽いFF車相手に勝つのは難しいだろう」とも思っていました。だから参戦してくれる人は少ないんじゃないかな……と。
【編集部】実際には本誌ラリーチームを含めて全日本ラリーに6台の86がエントリーしました。
【多田】ねえ。驚きです。そのあたりは微妙に対策もしていたんですけどね。
【編集部】対策?
【多田】はい。実は86はVSCを完全にカットしてもリアのブレーキをごく軽くつまんでLSD効果を出すなど、少しでもトラクションを稼ぐようセッティングしてあったんです。
【編集部】そんな裏設定があったとは!
【多田】まあそれでも勝てるとは思いませんよ、普通は。
【編集部】全日本ラリーで1勝できましたね。
【多田】はい。参戦初年度に全日本ラリーで優勝を見られたこと(ラリー北海道)は本当にうれしかったですね。
●ハイパワー版を発売する予定は?
【編集部】レースでも大活躍で。
【多田】そうなんです。今年はもっと凄いですよ。スーパー耐久のST4クラスへの参戦がずいぶん増えますし、ニュル24時間レースには20台くらいが出る見込みだそうです。
【編集部】86のパワーだとニュルのようなハイスピードコースは厳しいんじゃないですか?
【多田】そうなんですよ。コーナーで差を詰めてもストレートでびゅんびゅん抜かれちゃう。我々としてもあれはなんとかしたいなあと思っていまして。
【編集部】それは……今後パワーアップ版の発売を考えているということですか?
【多田】いろいろやっているんですが、開発の方向として追求したいのは、パワーアップよりも軽量化と空力性能の向上をやりたいですね。お金のかかるパワーアップより、市販車に付いているエアロスタビライジングフィンのような、ドラッグ(空気抵抗)が増える大きなリアウイングとは違うタイプのエアロパーツの開発も着々と進んでいます。
【編集部】チューニングパーツの開発ということですか。
【多田】ボディの軽量化や追加のオプションパーツ発売も含めて、いろんな可能性があるということです。例えばエンジンはファインチューニングした程度の仕様、まあエンジンも9000回転くらい回せれば最高なのでしょうが(笑)、そんな新しいチューニングコンセプトで筑波サーキットで1分を切れるような仕様を用意できたら最高に楽しいですよね。
【編集部】昨年のニュル24時間レースにはGRMNが86のツインチャージャー仕様(ターボ+スーパーチャージャー)を出品して、今年の東京オートサロンではそのツインチャージャー仕様がさらに進化した「FRスポーツコンセプト“プラチナム”」が出展されました。
【多田】されましたねえ。
【編集部】デビュー直前まで多田さんは「トヨタとしては86に過給器は載せない」とおっしゃっていましたが……。
【多田】トヨタとしては、です。それにGRMNもまだ発売していませんよね。
【編集部】ではああいう、ターボやスーパーチャージャーを追加する方向性は、多田さんの本意ではない、と?
【多田】そんなことはまったくありません。僕はベースを用意したわけで、それをいろんな人がいろんな方向に進化させるのは大歓迎なんです。実際、あのターボ+スーパーチャージャーという方向性は凄く面白いと思いますよ。だから多くのチューナーの皆さんがボルトオンターボなどを作ってくれているのを、とても頼もしく思っていますし負けられないなとも思います。
●デビュー後の評価は予想どおり?
【編集部】売れゆきや評価に関してはどうでしょうか?
【多田】大満足です。この時代に累計で約2万2000台が販売できたし、今年に入ってまた販売がじりじり伸びているという話もあって、本当にありがたい話だと思っています。
【編集部】国内販売だけでなく海外でも順調のようですね。
【多田】当初、北米トヨタから、
「アメリカ人はハンドリングなんて気にしないからこういうクルマを理解できないだろう。せめてターボを付けてから持ってきてくれ」
なんて言われたものですが、かつてAE86に乗っていたユーザーやお金のある若年層を中心に支持していただいています。
【編集部】アメリカでそれなりに売れているというのは、我々も意外でした。
【多田】アメリカの若年層は86に乗るまでAE86のことを知らなかったという人も多いのですが、今FR-S(86の北米販売名)を買ったお客様のなかには、「AE86とFR-S(86)を並べたい」というマニアの方もいるみたいです。ガレージの広いアメリカだからこそできる話なのでしょうが、凄い話ですよね。
【編集部】こういうスポーツカーが発売されると、過去には違法改造や暴走行為などが取りざたされるケースもありましたが、86についてはそういう話がまったく出ませんね。
【多田】いやいや本当にそうですね。オーナーの皆さんが分別のあるスマートな方ばかりで大変ありがたいです。私は発売前から「どんどん自分好みのクルマに仕上げていって下さい」なんて言ってしまったものですから、本心では改造絡みのトラブルが心配だったのですが、実際にはそういったトラブルは起きてません。ライトチューニングをしたい人はディーラーのエリア86で、もっとハードにチューニングしたい人はその種のショップというような棲み分けができているのもいいことだと思っています。
【編集部】86がデビューしたあと、多くの紹介記事や試乗インプレッションが登場しました。多田さんから見て86の評価は納得のいくものでしたか?
【多田】評価に関してはほとんどがうれしく感じました。「よくぞこんなクルマをこの時代に作ってくれた」とかね。カスタマイズに対しても最近は「純正が一番いいのだから決して触らないでくれ」というクルマも多いですが、そういった縛りをなくしたことを高く評価してもらったり、何よりも86に乗って降りて来る方の笑顔こそが最高の評価でしたね。
【編集部】腹のたった評価もあったんじゃないですか?
【多田】いやいやそんな(笑)。
【編集部】ないことはないでしょう?
【多田】あはは。スポーツカーなんて当然、好き嫌いがわかれるものだ、というスタンスで開発していましたから、別に何を言われても気にならないというか、気にしてないというのが本音です。ただそれまでは「トヨタはスポーツカーを作らなければいけない」とか「スポーツカーを作らないからトヨタはダメなんだ」と言っていた人が、いざ86を出してみたら「環境性能が足りない」とか「スポーツカーとしてちょっと物足りない」と言い出して、そりゃ話が違うじゃないかと思ったことはあります(笑)。
●86に「やり残し」はあるのか……?
【編集部】デビュー後に「こうしておけばよかった」だとか「ここをもっと作り込んでおけばよかった」と気づいたことはありますか?
【多田】いやー普通はあるんですが、86についてはないんですよ。これは豊田章男社長から「このクルマは発売期日の決まっているフルモデルチェンジではない。だから思う存分やってほしい。妥協のあるクルマなら発売しなくていいよ」と言われたのも大きいです。
【編集部】では開発中に印象的だった出来事はありますか?
【多田】86の開発って、今まで言われているよりはるかに多くの設計変更があったり、袋小路に追いつめられた時期が何度もあったんです。でも、そんな時には必ず誰かが出てきて助けてくれました。
【編集部】追いつめられた?
【多田】例えばエンジンです。もともと86はコストを考えて、FB型やEJ型といったスバルにある既存の水平対向エンジンを載せる計画でした。ところがいざテスト車に載せて走ってみると、どうも物足りない。ではもっと楽しい方向にセッティングを振ると、今度は燃費が悪いといった具合です。当時エンジン開発の担当役員だった小吹さん(現在アイシン精機の副社長である小吹信三氏)に相談すると、新開発エンジンなんて絶対にダメだと怒られると思ったのですが、テスト車に乗ってくれて「新開発の直噴(D-4S)を使おう」と言ってくれました。あとから小吹さんはAE86のエンジン開発を担当していたと聞いて、驚きました。86はそういう不思議な「縁」に何度も助けられたんです。
【編集部】今後どのような方向に進化させていきたいですか?
【多田】スポーツカーというのは、話題になる時だけどんどん進化させ、話題にならなくなったらやめてしまうというのが一番お客さんを裏切ることになると思っています。ですからとにかく開発を続けたいですね。少しずつでもいいので、毎年進化させていきたいです。先ほど申し上げたようなチューニングパーツによる進化もそうですし、エンジンも進化していくでしょう。
【編集部】具体的にはどんなモデルが考えられますか?
【多田】今日はちょうどこんな写真をお持ちしました。
(ジュネーブショーで発表されたFT-86オープンコンセプトの写真を見せる)
【編集部】おお、これはカッコいいですね!
【多田】でしょう! 実物はもっとカッコいいですよ! 86はいろいろな可能性を持っていると思っています。先ほど話に出ていたサーキットやダートコースだけでなく、峠道でも街中でも楽しんでもらいたい。そういう多様性のひとつとして、こういうオープン仕様のような方向はすごくいいと思っています。
【編集部】これルーフは幌ですか? それともメタルトップ?
【多田】もちろん幌ですよ。重心高や車重の関係から幌しか考えてません。
【編集部】な、なるほど。では先ほどおっしゃっていたハイパワー版のような仕様の86が登場するのはいつ頃でしょうか?
【多田】具体的な時期に関しては言えませんが、86はまだ販売が始まっていない国や地域があります。まずはそういう国や地域で86を待っている皆さんにお届けできるようにして、それが落ち着いた頃ですかね。
【編集部】最後に86ファンへ向けてメッセージをお願いします。
【多田】えー……。86ワールドは皆さんのおかげで予想以上の速さで構築されつつあり、このことに深く御礼申し上げます。これからも86を一緒に楽しみながら、育てていきたいですし、世界中の86ファンの皆さんと交流できたらと思います。今後もよろしくお願いします。
* * *
86がデビューしてから1年が経過し、本誌が多田さんにコメントをいただくのも4〜5回目となります。そのたびに、この明るく快活なキャラクターの多田さんだからこそ、86のようなクルマが作れたのだろうなという思いを強くします。
モノは作った人に似るといいます。86が持つ、なんとなく味方をしたくなるような、力になって肩を持ち、乗っていると自然と笑顔になるような不思議な魅力は、多田さんの性格が投影されているのでしょうか。86の今後がますます楽しみになりました。
(内容はすべてベストカー本誌掲載時のものです)
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コメント
コメントの使い方大袈裟ではなく、日本の車文化とアフターパーツメーカーたちを救った存在になりました。
息を吹き返したパーツ類の提供は、BRZらに限らずZC33やNDらにも手厚く普及していく礎となり、今や海外から羨まれるカスタマイズ基盤ができあがっています。
最大手が・安価で・車名や低重心などなりふり構わぬ話題作りして・カスタム推奨の車造りで提供した。その一つでも欠けたら不可能な大転換劇でした。