カルロス・ゴーン氏の退任日と同じ2017年3月31日、日産を牽引したひとりのカリスマデザイナーが退任した。
——中村史郞。1999年にいすゞから日産に移籍し、GT-Rを始め数々の日産デザインに携わった男が、日産社員として最後の一日に、ベストカーの独占インタビューに答えてくれた。
文:編集部/写真:編集部、NISSAN
ベストカー2017年5月10日号
日産デザイン改革の旗手がいま退任する理由
編集部 まず、退任される理由を教えてください。
中村史郞氏(以下、中村) 2016年度をもって退任することは、実はずいぶん前から計画していたことなんです。
理由はいくつかあって、まず2011年度にスタートした中期経営計画「日産パワー88」が2016年度に終わること。そこが区切りとしていいタイミングであるし、私は日産で17年間やってきました。
17年というのは充分な長さで、自分が想定していたことを達成できた感じもあるし、今、商品も含めて日産の成長が安定してきていて、次世代に渡すのにいいタイミングだと思ったこともあります。
それと、私は今66歳ですが、欧米の私と同世代のデザインリーダーはだいたい皆65歳くらいで辞めています。
元VWのワルター・デ・シルヴァとは仲がいいんですが、彼はひとつ歳が下ですけど私より先に辞めたし、欧米メーカーのデザインリーダーは今50歳くらいの世代が中心になっています。
そういうことも含めて「今が一番いい時かな」と思ったんですね。
長きに渡ってVWグループのデザインを統括したシルヴァ氏は2015年11月にその地位を退いた
「デザイナーの地位を上げる」日産で過ごした17年間
編集部 日産での17年間は、中村さんにとってどんな時代でしたか?
中村 それはもう、濃密な17年でした。コンセプトカーも含めると本当にすごい台数のクルマをこなして、クルマ以外にも建物やモーターショーの見せ方などのすべてをデザインしてブランド化を推し進め、それがデザイナーの役目だという想いを持っていたんですけど、日産にきてそれが実現できましたから。
本当にありがたい。ありがたいのひと言しかないですね。
編集部 いすゞ時代からデザイナーの地位を上げたいという想いがあったんですよね。
中村 日本はデザイン部門の地位や発言力が欧米に比べて弱く、なんとかそれを変えられないかと思っていたのですが、日産で役員にしていただいて……。
今ではデザインのヘッドが役員になるのはあたりまえになりましたが、17年前はゼロでしたからね。日産に来た時、そういう常識を変えられる千載一遇のチャンスだと思ったんですよ。
ここで変えられなかったら誰が次にできるのかというくらいの気持ちがありました。デザイナーの地位を上げることと領域を広げること、それから日本独自のカーデザインを作る。この3つの目標はかなり達成できたと思います。
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