日産、ホンダを“刺客”で打ち負かしてきたトヨタ
以上が近年の流れだが、2010年までのトヨタは「自社商品よりも好調に売れる他メーカーのライバル車」を許さなかった。
日産 エルグランドが好調に売れてトヨタがグランビアで太刀打ちできないと、2002年に渾身のアルファードに切り換えてエルグランドを打ち負かした。
2000年に背の低いワゴン風ミニバンのホンダ ストリームが登場して好調に売れると、2003年にボディサイズがほぼ同じウィッシュを発売して、販売合戦に勝利した。
2001年に燃料タンクを前席の下に搭載して広い室内を備えたコンパクトミニバンのモビリオが登場すると、2003年に薄型燃料タンクで同様に車内を広げたライバル車のシエンタを投入。この勝負も最終的にシエンタが勝ち、モビリオはフリードに発展した。
2009年にホンダ2代目インサイトが「G」の価格を189万円に抑えて発売した時は、同年後半に発売した3代目プリウスの機能を向上させながら、実質的な値下げを行った。「L」を205万円、「S」を220万円に設定している。
販売店はトヨタカローラ店とネッツトヨタ店を加えて全店に増やし、発売当初のカタログでは車名を伏せたものの、インサイトのハイブリッドシステムが劣ることを示す比較解説まで行った。
その結果、3代目プリウスはピーク時には1か月の登録台数が3万台を上回り(現在販売1位のN-BOXは多い時で約2万6000台)、納期は10か月まで伸びた。インサイトは見事に叩きのめされて国内販売を終えた。
もともとトヨタはセダンが得意で、実用重視の乗用車は不得意だったから、自社商品よりも好調に売れそうなミニバンが登場すると、必ず似通った後追い商品の「刺客」を送り込んで販売合戦に勝利した。
「トヨタに叩かれて強くなる」という構図の終焉
2010年までのトヨタは「全カテゴリーの販売1位」を目指していた。当時はトヨタのやり方が狡猾に思えて嫌だったが、今になって振り返ると、あの時代にトヨタと他メーカーの商品力は大幅に進化した。
特にホンダは、トヨタに叩かれて強くなった。ホンダの新しいミニバンを手掛けた開発者は、「これだけの低床設計は、トヨタには絶対にできない!」などと鼻息を荒くしたものだ。
ホンダに限らず当時の各メーカーには「優れた商品を発売しても、油断すればトヨタに抜かれる。安心できず、常に商品力を高めねばならない」という緊張感があった。だからこそ商品が進化した。
ところが2008年終盤にリーマンショックが発生し、この戦いは終焉を迎える。2010年発売の現行ヴィッツは「フィット対策」も視野に入れた2005年の先代型に比べると、呆れるほど質感が低かった(その後に多少は改良)。セールスマンは「これでは先代型のお客様に乗り替えを提案できない」と頭を抱えた。
もはやノートが小型/普通車の販売1位になったり、N-BOXが国内販売の総合1位を独走しても、トヨタは何も反応しない。各メーカーともにトヨタの動向を気にするから、トヨタが大人しいと「日本はもういいのかな」と思ってしまう。それが今の国内市場だ。
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