昭和が色濃く残るのは店舗だけじゃない。エリアがそのまま昭和な場所も、都内にはまだいくつもある。そこで、新宿駅西口すぐの『思い出横丁』ではしご酒。今宵、はしごのリミッターを外して『おとなの週末』編集部が巡ります!
取材・撮影/渡辺高
■レトロでカオスで一周して世界最先端!?
祭りか? 久々に「思い出横丁」を訪ねた第一印象だ。大通り沿いの表通り、線路沿いの柳通り、その真ん中を走る仲通りの3本で構成される横丁は、すれ違うにも苦労するほど人でごった返す。
元々は戦後に出現した、戸板1枚で区切った露天商の闇市「ラッキーストリート」。進駐軍から入手した牛や豚のもつを活用した焼鳥屋が立ち並ぶようになり、“焼鳥横丁”として賑わうようになったという。現在も約80店のうち20店以上は焼鳥&もつ焼きの店。
なのに、口開けは横丁唯一の鮨店『寿司辰』。カウンターの空席を見つけて、とりあえず飛び込んだ。終戦の年に焼鳥店として創業し、昭和36年に鮨屋に転換。御年74歳の2代目・村上健二さんが腕を振るう。
刺身を見繕ってもらい、トロたく巻で緑茶ハイを楽しむ。30年通うという隣客は、シンコ2貫をハイボールと一緒にさっとやり、「じゃまた」と退店。うーん、カッコよ。
河岸を変え、焼き台の前に特等席を見つけた『埼玉屋』で、さあ今度はもつだ! ガラスケースに並ぶ串たちはどれも大ぶりでなんとも豪気。カシラとシロを焼いてもらい、酎ハイをグビリ。
気になった店名の由来はオーナーの先祖が埼玉県春日部市出身だからとのこと。多分100万回は聞かれている質問にもやさしく答えてくれて、感謝至極。
いやはやすごい人の流れ。感覚的にはその7~8割が外国人。映えスポットとして有名なのだろう。みんな両側に味のある店が並ぶ仲通りで撮影に夢中だ。ノスタルジックな雰囲気に魅了される気持ちは、万国共通なのかも。
お次は、ひときわ年季の入った佇まいの『ささもと』へ。もつ焼きだけでなく、煮込みも部位別に串で出てくるスタイルで、箸すらないという潔さ。串からスッと肉片を頬張り、瓶ビールをコプコプと。
味噌ベースの煮込みの汁がなんともオツで、これを肴に永遠に飲めそう……でも、思い出横丁の店で長っ尻は野暮というもの。さ、次!
『岐阜屋』は仲通りからも線路通りからも入れる大バコだ。店内中央にある段差を境に、ふたつのコの字型カウンターを合わせた造り。つまり変則的なロの字型カウンターであるわけで、店全体に妙なグルーブ感がある。
シューマイと木耳玉子炒めをつつきながら飲む紹興酒が沁みる。店名の由来は創業者が岐阜出身だからとのこと。強い郷土愛、そして東京でひと旗上げようというハングリーさは、平成や令和には確かに希薄かもね。
『らくがき』はゆるりとした時間が流れる店だ。他店と違い、ゆったり落ち着いている。聞けば、酔客と日本語をまったく話せない人をお断りしているそうだ。
あっぶねぇ、自分もしたたか飲んできてしまったが、見た目はシャキッとしているらしい。まずは冷奴でアルコールを中和し(効果はあくまで想像)、名物の豚足をいただく。
乳白色に輝く茹で豚足は、プリプリと力強い弾力で、秘伝のニンニク味噌がよく合う。隣り合った日本在住のノルウエー人の紳士も、この味噌を舐めつつ芋焼酎を旨そうに飲んでいる。
煤でもう読めなくなった品書き短冊に黒電話、日本語が堪能な北欧人……。時空の歪みが発生していないか、後日再訪する必要あり。
『かめや』は心の思い出横丁一丁目一番地にある店。25年ほど前、社長を取材した際には、駆け出しライターの筆者を丁重に扱ってくださり、話はおいしい蕎麦をお手頃に提供したいという想いに満ちていた。
変わらぬ旨さだなあと天ぷら蕎麦を啜っていると、隣でやはりハフハフと旨そうに食べる西洋人と目が合った。「You like it?」と聞くと、「トテモオイシイデス」と日本語での返事。
フィンランドからの出張最終日に、思い出横丁での食べ歩きを満喫しているそうだ。驚くことに日本語は独学で、今回が初めての実践会話だとか。「鮨屋ノ大将ニモ日本語ガ通ジテ嬉シカッタ」
昭和人が予想だにしなかった国際化の大波に、思い出横丁はたゆたっていた。
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