■今振り返ってみると
さて、いかがだったでしょうか。大正時代はフォードが、第二次大戦後は日産がオースチンA40、いすゞがヒルマンミンクス、日野自動車がルノー4CVをノックダウンしていたが、バブル経済前の1980年代に日産がVWのクルマをノックダウン生産するとは思ってもみなかったことから当時話題となった。
その後、日産は1980年半ばから「1990年代に世界No.1の運動性能を実現する」ことを目標とした901運動が巻き起こるのだが、サンタナが少しは糧になっただろうか。
実際、担当はVWサンタナに乗ったことがあるが、2代目ジェッタやゴルフIIのと同様、いかにもドイツ車らしいスターター音と重いステアリング、高速道路の直進安定性に、ドイツ車らしさを感じたことを覚えている。
結局、VWサンタナは当初合意された月産4000~5000台の計画に対して、1990年までの生産終了まで約5万台にとどまった。販売不調の原因の1つといわれているのは、1987年のマイナーチェンジ以降に発生したアイドリング制御の欠陥問題に起因する、サンタナ/アウディ100のAT車の暴走事故が多発したことによる。
サンタナの後継車として1991年から3代目パサートがサニー店とプリンス店で販売されたが、1992年にトヨタ系のVWディーラーDUOが設立されると、日産ディーラーでの販売は中止となった。その後、上海でタクシーとして生き続けたのも記憶に新しい。また会いたいものだ。
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