過去10人の日本人が挑み最高位は5位
日本人ドライバーのインディ500初参戦は、1991年のヒロ松下氏。それから現在まで琢磨を含めて計10人の侍たちが、伝統の一戦に挑んできた。
しかし、これまでの日本人最上位フィニッシュは、2003年に高木虎之介の残した5位だった。
佐藤琢磨は、参戦3年目(2012年)に、インディ500で2位を走りながら最終週でクラッシュに終わるという悔しいレースも味わった。
レースだけではないインディ500の凄さ
1996年に当時日本人最高位となる8位で完走した松田秀士氏は、インディ500の凄さを次のように語る。
「レース自体の一番の凄さはスピード。370km/hに達する速度で200周もの周回を重ねるのだから尋常ではない。
しかも、そんな高速で先が見えないコーナーに飛びこんでゆく。日本や欧州のレースでは考えられないですよね。間違いなく“何かあったら死んでしまうレース”。
言い換えれば(そこで走る)“勇気”が最も凄いレースだと言えるかもしれませんね」
「以前、F1チャンピオンのルイス・ハミルトンに『インディ500に乗りたいか?』と聞いたら、彼は『(インディ500には)絶対行かない』と。それだけインディ500が危険で、凄いレースだと一目を置いているのでしょうね」
しかし、インディ500が世界最高峰のレースと言われる所以は、その歴史や文化にもあると松田氏は語る。
「アメリカでは5月の最終月曜日が『戦没者追悼記念日』となっていて、毎年その前日の日曜日にインディ500の決勝が行われています。そういう意味でも特別なイベントなのです」
「ゲストで呼んでもらった100周年大会(2011年)の時、サーキットを歩いていると、僕の写真を持ってきて『サインくれないか』という現地のファンが何人もいてね。僕がインディで走らなくなってから10年以上経っているのに。そんなレース、ほかにないよね」
「空港の入国管理でも『僕はレーシングドライバーだ』と英語で言うと、日本人の僕をすぐ通過させてくれた。
それも現地の人々のインディ500ドライバーに対するリスペクトがあるからこそ。インディ500の凄さは、そんなレース文化の高さにあるのです」
このように文化として浸透しているインディ500で勝つことは最高の栄誉であり、同時に非常に難しいという。
「単にオーバルをグルグル走っているだけって思うかもしれませんが、極めて高速で走るので、気温が変わるだけでダウンフォースが変わるほどセットアップはシビア。
だから、そのノウハウがあるトップチームでなければ優勝争いできない。ドライバーの力はもちろん、“チーム力”も必要で、それを手に入れるまでに琢磨選手は8年かかったんです」
異次元のスピードや勝つことの難しさ、そして長い歴史とともに培われた文化が、インディ500の『凄さ』。
その勝者に日本人として名を刻んだ佐藤琢磨選手に心から敬意を表したい。
コメント
コメントの使い方