F1はオープンホイール、オープンコクピットの車で行われるレース。ドライバーの首より上を覆うものはなかった。その景色が今季から変わる。
写真は、トロロッソ・ホンダの2018型マシン。新たなF1マシンには、ドライバーを保護するためのフレーム、通称“ハロ”が取り付けられている。
正直言って、お世辞にもカッコいいとは言えない!? その導入の裏側を探ると、F1の原点とはかけ離れた事情が見え隠れしてきた。
文:津川哲夫
写真:Toro Rosso、Daimler、Sauber
なぜ今、不格好なハロが導入されたのか?
今シーズンからF1に「ハロ」なるデバイスの装着が義務付けられた。
ハロとは聖人の頭の後ろに輪になって輝く光輪のことだ。正式名は、セカンダリー・ロールフープ(第二転倒時保護用たが)と言って、コクピットの上に下駄の鼻緒の様な形のフレームを装着し、事故などで飛び散ったデブリーフ(残骸)、特に千切れたホイールとタイヤを想定し、これらからドライバーの特に頭を守ろうというものだ。
これが考えられ始めたのはだいぶ前で、BARホンダのルーベンス・バリチェロのマシンから落下したスプリングが、後方を走っていたフェリペ・マッサ(フェラーリ=当時)のヘルメットのオデコ部分を直撃し、マッサはそのままクラッシュ。頭に大怪我を負った時からだ。
そして、最終的に開発と搭載に青信号がついたのは、もちろん鈴鹿でのジュール・ビアンキの事故(※2014年の日本GPでクレーン車に衝突し死去。
F1ではアイルトン・セナ以来21年ぶりの死亡事故)だ。このシステムは、転倒時にメインのロールフープだけでなく、ハロケージが地面との空間を確保してドライバーを護るのだ。
“必要以上の安全”でF1が失うもの
これは、F1安全対策の究極のデバイスかもしれない。というと、まさに光輪のごとく“ドライバーを護る安全の神様”のように思えてきて、これに反対する要素など何もない。……と、考えるのは少し短絡的ではないだろうか。
このハロ、実は多くの反対意見を押し切って搭載が強制されたのだ。第一安全に100%はなく、特にモータースポーツは危険なゲームであることは歴史的に認識されているはずだ。
そして、そのいくばくかの危険をドライバーなり、ライダーなりの技術と才能によて乗り越えて、競技を行うからこそ、モータースポーツにスリルを感じ、観客とファンはこの危険の疑似体験をモータースポーツのエンターテイメントに託しているのだ。
実際、多くのドライバーがハロ搭載に難色を示している。ただし、公式には「見場が悪くても我々の安全のためだから受け入れる」と優等生的回答をしているのは、組織からのパワハラもあるわけだ。
F1のモノコックは、現在異様に強度剛性が増し、今では余計なストレス計算などしなくても、FIAの強度レギュレーションとクラッシュテストを全て満足させれば、それだけでF1に必要な、それも最低限ではない強度剛性が得られてしまうのだ。
ストラップで締め上げてHANSシステムで首を守り、カーボンヘルメットで頭を守り、コクピットサイドには衝撃吸収パッドでヘッドガードが搭載され、コクピットの足部内壁には衝撃吸収パッドが張り巡らされている。
ステアリングシャフトはクラッシャブルシャフトで、ノーズとギヤボックスバンパーは強力な衝撃吸収式に造られ、サイドポッドインパクトにもクラッシャブルストラクチャーが上下2本も装着されていている。
さらに、コクピットサイドの壁には防弾チョッキと同じザイロン繊維のボディアーマー(鎧)さえ貼られていて突起物の貫通を拒んでいる。こう考えると、日常生活では決してあり得ない「超」のつく安全装備でドライバーは護られていることになる。
遠い昔、ドライバーの給料が高いのは命がけのレースをやっているからと言われたものだが、これはF1に関して言えば、“遠い昔のざれ言”になってしまう。
コメント
コメントの使い方