■2016年ロズベルグは安定した速さで序盤戦を4連勝
ここに至るまでハミルトンは、ロズベルグとの絡みがあるたびに批判的な言動を繰り返してきたが、対するロズベルグは寡黙で反論を控えて黙々と走り続けてきた。しかし、2016年のロズベルグは少し違った。序盤戦のリードで、「今シーズンはチャンピオンになる!」と意を決したに違いない。
メルセデスやフェラーリといった強豪チームのやり方はいつも同じで、チャンピオン獲得にはチームオーダーの絶対的な遵守が求められる。そしてナンバー1は何があろうとナンバー1なのだ。もちろん、そんなことはロズベルグ自身痛い程わかっていたはずだ。しかし2016年序盤のリードは彼にそのヒエラルキーを覆す覚悟をさせたのだろう。
開幕4戦でハミルトンはスタートミスとトラブルで、レースを落とすパターンにはまっていた。第5戦のバルセロナでもその流れは続いていた。ハミルトンはここで久々のPPを獲得、2番手にはもちろんロズベルグがいた。
だがレーススタートでまたもやミスを犯し、ロズベルグに先行を許したハミルトン。第4コーナーでロズベルグのインに入り込むも、ロズベルグに「ドアを占められて」これに追突クラッシュ。結果、2台ともリタイアしてしまった。本来なら空くことのない第3、第4コーナーのイン側なのだが、そこにハミルトンは誘い込まれる形で突入した。それまではここでロズベルグが引くのがシナリオだったのだが。
同士討ちはハミルトンとチームには大きなダメージだったが、ロズベルグのポイントリードは安泰で、一歩チャンピオンへと近づいた瞬間であった。
ちなみにこのレースでの優勝は、レッドブルへ移籍したばかりの新人マックス・フェルスタッペン。現在のハミルトン最大のライバルである。
後のオーストリアグランプリでも、PPスタートのハミルトンに、ギアボックス交換ペナルティーで5グリッド降格のロズベルグが追いすがり、ピットストップでリード。しかし最終ラップの第2コーナーでアウトからハミルトンが仕掛けたがロズベルグと接触。その結果、ロズベルグはウィングを壊し、ハミルトンはダメージ少なくそのまま優勝となった。
■ハミルトンの強引な追い抜きに、ロズベルグが引くことをやめた
ここまでのレースで、ロズベルグはハミルトンに「自分の前を走らない限り、俺を抜こうとすれば当てるよ」というメッセージを送ったわけだ。
今シーズン、序盤から問題視されていたハミルトンのスタート失敗の数々は、かつての、ロズベルグからのこのメッセージがあるからこそと思えて仕方がない。スタートが大きなプレッシャーとなって、ミスを重ねてきた……とは考え過ぎだろうか。
振り返るとハミルトンのキャリアのなかで、唯一の脅威がこの2016年の僚友ロズベルグからの威嚇だったのではないだろうか。メルセデスで走ってきた中で、唯一ライバルに押しまくられて負けたと実感させられたシーズンだったのではないか。それ以後、再びチームメイトに協力者に徹するナンバー2を迎えたことで、ハミルトン王国は盤石なものになった。
そして、時代は再び風雲急を告げようとしている。2021年の今シーズン後半、ハミルトンはここへ来てそのナンバー2という頼もしい協力者を失い、本来の孤独な戦いが始まった。サポートする僚友はもういない中で、レッドブルのフェルスタッペンと1対 1の真剣勝負となる。お互いにアドバンテージを持たぬガチの戦い……。長い間出現しなかったこのシビアなレース環境のなかで、100勝を達成した伝説のチャンピオンはいかなる戦いを見せてくれるのだろうか。
TETSUO TSUGAWA
TETSU ENTERPRISE CO, LTD.
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津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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