今年で30回目!! 鈴鹿 F1日本GP プロが選ぶ名場面 ベスト3と秘話


【3】2000年/シューマッハが魅せた至高の王座争い

2000年の鈴鹿で21年振りのダブルタイトルをフェラーリにもたらしたシューマッハ(写真は翌2001年の鈴鹿。シューマッハはゼッケン1を刻んだマシンで凱旋し、2連勝)

鈴鹿はF1グランプリ史上多くのチャンピオン決定を担ってきた。記憶に残るのは2000年。フェラーリの復活を担うミハエル・シューマッハと3年連続チャンピオンを狙うマクラーレンのミカ・ハッキネンによる、近代F1史に残る一騎打ちシーズンだった。

ポイントリーダーはふたりの間を行き来し、最終戦鈴鹿がチャンピオン決定戦となった。

ふたりの拮抗した走りは予選から息詰まる戦いとなり、100分の1秒単位で最速を塗り替えていた。

レースではスタートでポールポジション(PP)のシューマッハを交わしてハッキネンがリード。

しかし、雨のタイミングと周回遅れに阻まれ、給油を含むピット作戦でシューマッハが交わし、フェラーリは遂に復活を果たす。シューマッハは3度目のワールドチャンピオンに輝いた。一方で終盤のウェットでのハッキネンの鬼神の走りは凄まじく、観るものを魅了した。

2000年、変貌するF1世界で類い稀なる2人の勇者の、他の誰も近づくことの出来ない領域での、まさに1対1、ガチの真剣勝負であった。

この後2001年を最後に孤軍奮闘型のハッキネンはF1を去り、ここからF1がモダンな管理世界へと突入していった。まさに名実ともに勇者の戦った20世紀最後のグランプリであった。

一時代を築いたシューマッハ(左)とハッキネン(右)。奇しくも両者がともに出走したレースは、2001年の鈴鹿が最後となった

古い話ばかりだが、鈴鹿は時代が変わろうと、30年を経ようとも、常に名場面を演出してくれる。今回で30回目に至る鈴鹿F1史は、常にドラマを作り続けてきた。

それはどの時代でも鈴鹿がF1ドライバーの全てが愛するサーキットだからだ。

コーナーの種類と起伏に富み、実に繊細で難しくもチャレンジングなサーキット、それが世界に轟く“SUZUKA”なのだ。

◆津川哲夫 
1949年生まれ、東京都出身。1978年より日本人F1メカニックの草分けとして数々のチームを渡り歩き、ベネトン在籍時代の1990年に引退。その後はF1ジャーナリストに転身し、TV中継の解説なども務めている

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