疑惑のマシンB194で才能を疑問視されていたシューマッハ。だがその実力は本物だった

フェラーリ・シューマッハ驚異の連続5回のチャンピオン獲得

 シューマッハはこのプロジェクトの柱となり、スクーデリアのゼロからの構築に身を捧げてゆく。実際、96年には全く走らないバーナードマシンF310で多くのリザルトを作り上げ、翌年ローリー・バーンが改良を加えたマシンF310Bでタイトル争いに絡んできた。この97年からベネトンで、シューマッハを育てたブラウンとバーン。そして気心の知れたスタッフ達と協力してチャンピオンチームを作り上げていったのだ。

 97、98、99年……、スクーデリア・フェラーリは確実にポテンシャルを上げてきた。トッドはフェラーリに就任した93年、マニクールの会見で「私はオーケストラの指揮者、力のあるスタッフから最高の力を引き出すのが役目、その成果は5年後ぐらい」と語っていた。そして西暦2000年にシューマッハ達が押し開けた扉の向こうには、連続5回のチャンピオンが待っていた。

 デジタル時代の先鋒、ミハエル・シューマッハ。そのF1での足跡を追えば彼のF1へのコミットメントの偉大さに気付かされる。 

 現在シューマッハはスキーでの事故以来、その容体は不明でありニュースは全て憶測でしかない。願わくば再び元気なレジェンドの姿を拝みたいものである。

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津川哲夫
 1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
 1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
 F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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