日本人が世界で通用するには何が足りないのか?
だが、世界最高峰の壁は高い。
現在、F1に参戦する日本人ドライバーは不在。過去を振り返っても、佐藤琢磨、鈴木亜久里、小林可夢偉が1度ずつ3位を獲得したのが最高位で、未だ表彰台のトップに立った日本人はいない。北米に目を移しても、インディ500で勝ったのは佐藤琢磨ただ一人だけだ。
日本人はなぜ、世界の舞台で戦えないのか? ドライバーとしての“速さ”が足りないのか? この質問をぶつけると、琢磨選手から、彼の経験ゆえに感じ取った実にシンプルな答えが返ってきた。
「やっぱり、このとても暮らしやすい日本という小さな島国にいて、世界に飛び出して戦うことが、どれだけ厳しいかをみんな知らないんですよね」
「生活面でも、明日どうにかして生きていかなくてはならないと覚悟を持って生きている若者はいないと思うんですよ。でも、海外では未だにそうしたメンタリティを(若者が)基本的に持っていて……だから、そういう選手とやりあっていく(心の)“強さ”は凄く大事だと思います」
「とにかく自分だけが頑張ればいいと思ってしまうけれど、それでは成功できない。私もどれだけ多くの人に助けられたことか。だから、そういうモノ(=求心力)は、これからもっともっと必要になってくると思いますね」
もちろん、選手としての実力が必要なことは言うまでもない。でも、それはあくまで最低限に過ぎず、メンタリティや「アイツを勝たせたい、応援したい」と周囲を巻き込む求心力が必要とされる。
考えてみれば、レースの世界に限らず、サッカーであれ、野球であれ、これまで世界で活躍した日本人トップアスリートは、そうした要素を持っていた選手ばかりだ。
このメンタリティや求心力は、カリスマ性などと表現しがちな“才能”ではなく、佐藤琢磨からすれば、アスリートであれば自ら磨くべき“能力”であるということなのだろう。
「F1で表彰台の真ん中に乗れる日本人を育てたい」
今、F1の世界ではドライバー育成事情が、ひと昔前と様変わりしている。18歳という若さでF1史上最年少優勝をあげたマックス・フェルスタッペンは、所属チームであるレッドブル・ジュニアチームの出身。
この例を筆頭に、F1では強豪チーム自身が持つドライバー育成プログラムで、若いうちから優秀な才能を囲い込み、育て、そしてF1にデビューさせるという流れが加速している。
ホンダが佐藤琢磨をSRSの新しい校長に据え、ドライバー育成機関を強化しようと並々ならぬ意欲を見せるのも、こうした流れが背景にあるからだ。
では、SRSが新体制となり、具体的にどのような施策が行われるのか。「まだテーブルの上に投げかけている段階」としながらも、新校長の琢磨は「例えば、(海外の)他のアカデミーとの連携。スクール同士で交換留学ではないけれど競わせる。それによって海外のレベルもわかるし、逆に海の向こうに行けばわかることもある」と、描くプランを教えてくれた。
ここで冒頭の「世界のトップに通用する、世界で戦えるドライバーを育成しよう」という言葉の意味をもう一度考えてみたい。
今まで、世界で戦う日本人ドライバーは、日本のメーカーとともに散発的に現われ、そして途絶えてきた。しかし、それでは今以上にモータースポーツが日本に根付くことはなく、本当の意味で世界に通用する日本人が誕生することは難しいかもしれない。
もし、こうした流れが変わるなら……それは大きな一歩となる。
「やっぱり次に育成するのは、表彰台の真ん中。(ここに)乗れる日本人を育てたい」というホンダの強い意志と新たな体制。それが正しいか否かの“答え”は、今後の成果が証明してくれるはずだ。
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