かつてはF1マシンを開発し、現在はWECの活動拠点となり、WRCのGRヤリス ラリー1のエンジンも製造しているトヨタのモータースポーツの総本山がドイツのケルンにあるTGR-Eだ。そして、そこにはトヨタのモータースポーツを彩るF1、WRC、WECの涙ものマシンが収蔵されていた!
文・写真:ベストカーWeb編集部
■おお~TF109に遭遇。日本ではお目にかかれないマシンの数々
若い世代はトヨタがF1を戦っていたことをなんとなくしか知らないかもしれないが、2002年から2009年までの8年間F1に参戦。2位5回、3位8回、ポールポジション3回と優勝こそできなかったが、TF102からTF109まで年々進化を遂げ、最後の年となる2009年母国鈴鹿での粘りの2位表彰台に歓喜したというファンも多いはず。
ここTGR-Eには2001年にテストで走ったプロトタイプカーのTF101から2009年最終戦のアブダビGPを走ったTF109まで、歴代のF1マシンがごっそりあり、目頭が熱くなるばかり。
ル・マン参戦マシンに目を移せば、なんといってもTS020に目を奪われる。トヨタは1998年と1999年に片山右京、土屋圭市、鈴木利男の日本人トリオで参戦。1998年こそ9位に終わったが、1999年はドラマチックな展開になった。
ル・マン初制覇を目指すトヨタは3台態勢で挑むも、中盤までに2台を失い、残る1台が日本人トリオの3号車。トップを走るBMWがまさかのクラッシュし、チャンスと見た片山右京が乗る3号車はもう1台のBMWに猛アタック。タイムがぐんぐん縮まり、悲願の初優勝かと思われた瞬間、左リアタイヤがバーストしてしまう。ピットインを強いられた3号車は結局2位に終わってしまった。
TVで見ていたが、その熱い走りに鳥肌が立ったことを覚えている。1999年をもってル・マンの参戦は中止され、F1に挑むことになる。
涙腺が崩壊しつつあるなか、WRCゾーンへ。ST165、ST185といった”定番”セリカに加え、1972年TTE(トヨタチームヨーロッパ)が初めてラリーに参戦したTA22セリカやオベ・アンダーソンがドライブしたRA40、そしてグループB時代のTA64とセリカづくしに圧倒され、「セリカこそがトヨタのラリーを牽引したモデル! 早くセリカを復活させてくれ!」と一人叫んでしまった。
さらに奥へ行けばWRC復活に向け、エンジン開発に使ったプロトタイプマシンに遭遇。ヤリスの皮をかぶった怪物はホワイトボディゆえにかえって迫力が感じられる。
とにかくF1もル・マンもWRCも栄光をつかんだクルマもそうでないクルマも同じように展示され、トヨタのモータースポーツの歴史を俯瞰できるのがいい。現在一般公開はされていないが、今後は検討していくということなのでご期待ください。
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■WECマシンを開発、WRCのエンジンもここで作られる
TGR-EはかつてTMG(トヨタモータースポーツ有限会社)と呼ばれていたが、モータースポーツ活動にとどまらず、GRの市販車へのフィードバックを含めた車両開発も行うべく2020年に社名変更した。
かつてはF1の参戦車両開発の拠点だったが、現在ではWECの開発拠点であり、GRスープラのGT4マシンの開発や製造を行い、正式発表が待たれるGR GT3の開発もおそらくここで行われているはずだ。またWRCを戦うラリー1やラリー2のエンジンはここで開発されるほか、レクサスLFAの指定工場としてメンテナンスが行われ、世界中からLFAが持ち込まれるという。
いわゆる多品種少量生産を可能にするケルンの工場は約3万平方mの敷地に約300人のスタッフが働いており、設計から製造、テスト、組み立ての最新設備が整っている。
WECを戦うGR010 HYBRIDはパワートレーンもそうだが、シャシーやボディ、空力など恐ろしいくらいの精度で開発されているが、それを支えるチタンやカーボンの工作機械がすごい。例えばDMG MORIの工作機械はリース契約だが、TGR-Eはモニターとして使い勝手などをフィードバックし、次の工作機械の開発に役立てているという。
また、GRヤリス ラリー1エンジンのベンチテストや実際にWECドライバーが乗り、忠実に再現したコースを走るGR010 HYBRIDのシミュレーター、マクラーレンF1チームも使っていた2つの風洞など、驚きと興奮の連続。モータースポーツの技術開発の最先端がここにあった。
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