時にお金に余裕のある酔狂なクルマ好きは、後世のクルマ好きが喜ぶぶっとんだお話を生み出してくれる。今回紹介するのはそんな類いのエピソード、そしてそこから生まれた珍しいロールスロイスのお話である。
文:古賀貴司(自動車王国)/写真:アギュト
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高級車の代名詞ロールスロイスをパリ・ダカールラリーで走らせる、なんてことは、酔っぱらってでもないかぎりは思いつかないだろう。
しかし、この突飛なアイデアは1981年に現実のものとなった。そして、その立役者は高級ワインに酔った2人のフランス人富豪だった。
ある夜、ティエリー・ド・モンコルジェとジャン=クリストフ・ペルティエという2人の富豪がワインを飲みながら「俺のロールス・コーニッシュでパリ・ダカールを走ってやろうじゃないか」と酔いに任せて閃いた。
普通なら、二日酔いとともに忘れ去られるような夢物語。しかし、この2人は起きてもなお本気だった。すぐさまプロジェクトチームを結成し、ロールスロイスをラリー仕様に改造する計画を始動させたのだ。
当初の計画では、コーニッシュのボディをそのまま使う予定だったが、約2,270kgという重量は競技車両として致命的だったため、FRPで軽量なレプリカボディを製作。
ロールスロイスの部品で使用されたのはウィンドウ、クロームバンパー、ダッシュボード、“パルテノン神殿”の異名を持つフロントグリル、そしてステアリングシステムのみだった。
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プロジェクトを指揮したのは、シトロエンのプロトタイプを含む多くのラリーカーの準備経験を持つミシェル・モクリツキーだった。コーニッシュに近いホイールベースを持つ四輪駆動シャーシを探した結果、トヨタ・ランドクルーザーのHJ45型に決定した。
完成車には、スチール製ラダーフレーム、アクスル、ブレーキ、板バネ、トランスミッション、トランスファーケースは残されたが、エンジンはより刺激的なコルベットの5.7L V8エンジンに換装された。白いスチールホイールが追加され、もちろん適切なオフロードタイヤが装着された。
ボディ下部には補強のためのチューブラーフレームを追加。内部にはフルロールケージが装備され、レーシングバケットシートとラリー仕様のステアリングホイールも取り付けられた。後席に新設された燃料タンクの容量は332リットル。
ロールスロイスがこのプロジェクトを知った時、知的財産権を理由に即座に中止を求めたが、幸いなことにプロジェクトの創始者たちには切り札があった。
なんと、高級ブランドのクリスチャン・ディオールが新発売の男性用香水「ジュール」のプロモーションとして、このプロジェクトに興味を持っていたのだという。
その後、ディオール側の説得により、ロールスロイスも渋々プロジェクトを容認することとなったそうだ。
ジュールと名付けられたコーニッシュのパリ・ダカールマシンにはシャンパンと蠣を積んで参戦した、という逸話も残っているが、真相のほどは定かではない。
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