Web世代の若い読者にも好評を得ている「名車リバイバル試乗記」、第4回めはマツダ・ロードスター(NA6CE型)が登場します。デビューは1989年9月。
ライトウェイトオープン2シーターの世界に革命を起こしたと言われている。
この名車中の名車の登場時、徳大寺有恒氏は何を想い、何を語ったのか。当時の筆致を振り返りたい。
※本稿は1989年9月に執筆されたものです
文:徳大寺有恒
ベストカー2015年4月10日号「追悼特集 徳大寺有恒スペシャル」より
「徳大寺有恒リバイバル試乗」は本誌『ベストカー』にて毎号連載中です
■ユーノス・ロードスター出現の意味
スポーツカーの楽しさのなかで、比較的小ぶりなパワーユニットのクルマを速く走らせようとすることは、本格派に属するものだ。
小型スポーツカーを操る楽しさは、いくつになっても楽しいものなのだ。それはヨットに例えるならばディンギーのようなものなのかもしれない。
ブレーキ、シフト、スティアリング操作という、クルマを走らせる上での基本的な動作を体得し、次のステップではハイスピードでのクルマの挙動を察知し、その対応を覚える。
これをマスターしてこそ、スポーツカードライヴィングは完成するのだが、その教材として、ライトウェイトスポーツカー以上のものはない。
もうひとつ、ライトウェイトスポーツカーの「徳」は、ある種の人間には、こいつを普段の足にできることにある。
スーパースポーツカーにはそいつができない。ライトウェイトスポーツカーは、フトコロの軽い、それでいてとびっきりクルマの好きな人間のためのものだ。
■バランスに優れたユーノス・ロードスター
この楽しくて当たり前のライトウェイトスポーツカーが、ユーノス・ロードスターの出現まで、何故途絶えていたのであろうか?
’70年代、’80年代という時代は、自動車の生産技術の大幅な進歩の時代であったと考えられる。その牽引力は、ことによると日本であったかもしれないが、その進歩した生産性は大幅な投資を必要とした。
もとより生産型小型車のパーツを可能な限り流用し、スポーティなボディと軽快なハンドリングを与えて成立したライトウェイトスポーツは、この新たな生産法ではできなかったのである。
同時に’70~’80年代の小型車が、ほとんどFF化したことも、この種のライトウェイトスポーツカーを阻んだ要因だろう。
’80年代の終わりにマツダがユーノス・ロードスターを登場させたのは、かつて数多く存在したライトウェイトスポーツカーの楽しさをそのままに、
それよりもパワフルなエンジン、進歩したシャシーとタイヤ、そしてかつてのモデルが望み得なかった数々の快適システムを持つ〝現代のライトウェイトスポーツカー〟を作ろうと思ったからにほかならない。
そして、ユーノス・ロードスターには、かつて存在したイギリスのMGやロータス、イタリアのアルファ・ロメオといったオープン2座が持っていた楽しさがすべて詰まっていると考えていい。
この種のクルマに望まれるのは高いバランスである。かつてライトウェイトスポーツカーのナンバーワンといわれたロータス・エランは、このバランスという点で最高だった。
ユーノス・ロードスターはその点、バランスを重視し、慎重に開発されていると思う。自然吸気エンジンを選んだのは、そのためだろう。
このエンジンは低速もトルクが厚く、鋭くかつ自然な加速を得んがために、ギアレシオを下げている。
クロスレシオの5スピードミッションで、そのシフトタッチは軽く正確。これはかつてのライトウェイトには望むべくもなかった。
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