四国〜本州にかかる瀬戸大橋の、本州側の正門の役割を持つ場所といえば岡山県倉敷市の児島。その昔、瀬戸大橋が開業するまでは、児島から20kmほど東へ進んだ同県玉野市の宇野が、本四連絡の公共交通の大動脈を支える中継地点だった。
文・写真(特記以外):中山修一
(バスマガジンWeb/ベストカーWeb内本文上とギャラリーに、児島〜宇野間を結ぶ公共交通手段の写真があります)
■象徴的な場所同士を行き来する
児島と宇野、どちらも四国と深い関わりを持つ瀬戸内海沿いの象徴的な街同士といえる、この児島〜宇野間を行き来するには、どんな交通手段が選べるのか。
両者にはJR線の駅が置かれているが、それぞれを直接結ぶ鉄道線はなく、JR線の電車を使う場合いったん岡山方面へ向かい、途中の茶屋町で乗り換えて移動する形になり、地図上で見ると「人」の字のような経路を描く。
JR瀬戸大橋線と宇野線を乗り継いでの距離は30.8km、所要時間40〜1時間くらいで児島〜宇野間を移動できる。運賃は2026年8月時点で590円。
内陸経由のため、最短ルートである海岸線沿いを進むのに比べると10〜11kmほど遠回りになる。ではその最短ルートで児島〜宇野間を結ぶ公共交通手段があるのかに興味関心が向く。利便性は高そうに見えるので、やはり路線バスあたりが運行していそうな気がする。
■ちゃんとバスありました
現地のバス路線網をチェックしてみると、想像した通りの海沿い経路で児島〜宇野間にちゃんとバス路線が通っていた。
下津井電鉄バスと両備バス2社による路線系統を利用するもので、古くから観光名所として知られる、王子ヶ岳の麓を経由する行き方だ。児島〜宇野間の直通便もなくはないのだが、基本的には王子ヶ岳でバスを乗り換える。児島→宇野方向でルートを記すと……
【1】JR児島駅→(下電バス82系統 王子ヶ岳線)→王子ヶ岳登山口
【2】王子ヶ岳登山口→(両備バス 新道渋川・王子ヶ岳線)→宇野駅
……の2行程になる。
■なかなかの名門路線!?
今でこそ本四連絡の正門役を務める児島も、瀬戸大橋が開通する前は行き止まり感の大きい場所だったようで、その時代に児島へ行く主な方法として、茶屋町〜児島〜下津井間21kmを結んでいた下津井電鉄の電車に乗るか、宇野から両備バス/下電バスの路線を利用するかの2通りがあった。
下津井電鉄(当初は下津井軽便鉄道)の児島〜茶屋町間の開業が1913年。一方の海岸線沿い経由のバスがいつ頃誕生したのかに注目すると、1929年10月に開業した、日比自動車による宇野線宇野駅〜下津井鉄道味野(後の児島)駅間の乗合自動車が浮かび上がる。
昭和11年発行の書籍『児島めぐり』を開くと、「日比自動車会社経営の乗合自動車が宇野駅を発して南海岸に沿ふて日比、田ノ口を経て下津井鉄道線の味野町駅に通ずる……」と記されており、現在のバスの経路と非常によく似た印象。
また、日比自動車の同路線はその後、下津井鉄道に買収された上で山陽バスへの譲渡を経て、1937年に山陽バスが両備バスへと社名を変え、同社の路線として営業を始めている。
そういった過去の書物に記された記憶記録の断片を組み合わせると、おそらくこの日比自動車の宇野〜味野間が、今日の児島〜宇野間を走るバスルートの起源ではないかと考えられる。
児島へのアクセス事情を全国版時刻表を基準にした場合、1972年に下津井電鉄の児島〜茶屋町間14.5kmが廃止されるまでは茶屋町回りの鉄道利用、電鉄線廃止後は宇野回りの路線バス利用が、“標準”の行き方として掲載されている色合いが濃い。
1975年時点で15〜30分毎、1987年時点で10〜30分毎、瀬戸大橋開通後の1995年時点で20〜60分毎と、昔はバスの本数も結構多かったのが窺い知れる。






