三菱自動車にとってシンボル的な存在だったランサーエボリューション(以下ランエボ)が絶版になって、もうすぐ5年となる。現在経営再建に尽力している三菱だが、ほんの十数年前は日本を代表する4WDスポーツカーを製造し、発売直後に完売…なんてことが何度もあった。
当記事では今も復活を熱望する声が止まないランエボが歩んだ軌跡を振り返りながら、このクルマの凄さ、功績を考察してみた。
文/永田恵一、写真/MITSUBISHI
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■ランエボが歩んだ軌跡(第一世代(1992年から1995年))
ランエボは当時三菱自動車がラリーなどの競技に使っていたギャランVR-4の戦闘力を高めるため、VR-4のパワートレーン(2Lターボ+4WD)をボディの小さなランサーに移植するというコンセプトで登場した。
これは最初のランエボからわずかに遅れて登場したインプレッサWRXが、レガシィRSを小型化したのと類似した手法だ。
国際ラリー参戦に必要な生産台数となる2500台限定でひっそりと登場した最初のランエボだったが、登場からたった3日で完売し、追加生産が行われるほどの人気を集めた。
第一世代のランエボは、WRCでの戦闘力向上のため、劇的な進化を遂げた1994年のエボII、ノーマルカーとは思えない派手なエアロパーツも記憶に残る1995年のエボIIIへと進化していった。
■第二世代(1996年から2000年)
1995年にベースとなるランサーがフルモデルチェンジしたのに伴い、ランエボも翌1996年にエボIVが登場した。
エボIVは土台となる車体が変わったのに加え、2Lターボエンジンは当時の自主規制いっぱいの280馬力に到達し、一般向けのGSRにはコーナーで後外輪に多くトルクを配分して旋回性能を向上させるAYC(アクティブヨーコントロール)が採用され、このことは三菱自動車が現在も進めているS-AWC(オールホイールコントロール、四輪統合制御)思想の大きな前進となった。
1998年登場のエボVでは、IVまでの5ナンバー幅から3ナンバー幅となるワイドボディ化、それに伴うタイヤサイズの拡大、ブレンボブレーキの採用などにより性能を劇的に向上し、日本車最速軍団の常連となった。
第二世代のランエボは、1999年のエボVI、2000年のエボVIトミー・マキネンエディション(通称エボ6.5)と正常進化を遂げた。
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