約15年の空白の時を経て、トヨタ スープラが再び新型車として復活する時が刻々と近づいている。2002年に生産終了したA80型スープラは今なお人気が高く、中古車市場では当時の新車価格に迫る個体があるほど。
そして、実はプロの評価も極めて高い車でもある。そのプロのひとりであり、A80スープラで国内トップレースを制した経験を持つのが脇阪寿一氏だ。
市販スポーツカーとして人気を集めるスープラは、自分をトップレーサーに引き上げた車でもある、と脇阪氏は綴る。
文:脇阪寿一
ベストカー2018年3月10日号
最初は扱いにくかった!? 名車スープラ誕生の秘話
僕がホンダ時代にスーパーGTで乗ったタカタ童夢NSXは、レーシングドライバー・脇阪寿一に“スピード”という自信を付けてくれた車でした。
そして今回は、この車を語りたいと思います。エッソ ウルトラフロー スープラ。ーー僕がホンダからトヨタ陣営に電撃移籍、当時いろいろ騒がれました(笑)。
TRD(トヨタのレースカー開発を担う関連会社)の木村さんに「この車を優勝させて俺を泣かせてくれ」と与えてもらった車。
2001〜2005年までチーム ルマンと共に5シーズンを戦い、毎年仕様は異なりますが、やはり、皆さんのイメージする“エッソ ウルトラフロー スープラ”といえば2002年の車でしょうか!? 相棒はもちろん飯田章選手です。
聞くところによりますと、未だにアンケートを取るとスーパーGT史上において人気ナンバーワンはこの車だといいます。
ホンダからトヨタに移籍し、セントラルパーク美祢サーキット(山口県)で、初めてTRDの開発車であるスープラに乗った時の印象は「やばい、エライところに来てしまった!」が正直な感想。ブレーキング時のリアのグリップ変化とターボエンジンのピーキーな特性に苦労したのを思い出します。
テストは進み、チームと合流。チーム ルマンとは、フォーミュラ・ニッポン(=当時、現在のスーパーフォーミュラ)で僕が所属していた鈴木亜久里さんのチーム、ARTAの車のメンテナンスをしていたこともあり知れた仲。スープラのポテンシャルを引き上げ、自分好みの車に仕上げるのに、それほど時間はかかりませんでした。
コメント
コメントの使い方