ホンダがビートに続いて久しぶりに放ったマイクロスポーツカーがS660だ。熱狂的なファンに支持されていたが、2022年3月をもって生産を終えることが発表された。
これでホンダスピリットの走りの原点となる「S」シリーズの系譜がいったん途切れることになる。ホンダという自動車メーカーを知るうえで「S」シリーズは、これまでにも重要な役割を果たしてきた。
本稿では伝統の「S」を車名にもつモデルが辿った系譜を振り返るとともに、そこに共通するホンダのスピリットを改めて考えてゆく。
文/片岡英明 写真/HONDA
ホンダ四輪の原点でもある「S」の系譜
ご存じのように、ホンダは2輪車の世界で勇名を馳せ、世界グランプリでも圧倒的な強さを誇っている。1960年代になるとホンダは4輪の世界への進出を目論んだ。この時代はファミリーカーが中心だったが、ホンダはオープン2シーターのスポーツカーを引っさげて乗用車メーカーへの足場を築いている。
4輪業界への進出を表明したのは1962年1月だ。6月には鈴鹿サーキットでS360のプロトタイプと軽4輪トラックのT360を関係者にお披露目している。ボンネットの中に収められていたのは精緻な直列4気筒DOHCエンジンだ。
軽自動車の枠に入れたS360は試作だけに終わったが、1963年10月にS500を発表し、販売に移している。
エンジンは531ccのAS280E型直列4気筒DOHCだ。シリンダーヘッドからブロック、オイルパンまで総アルミ製で、レーシングエンジン並みの高回転を可能にしている。京浜製のCV可変ベンチュリーキャブを4基装着し、最高出力はグロス44ps/8000rpmだ。レッドゾーンは9500回転と、ライバルの度肝を抜いた。
この時代、エンジンはシンプルなOHVが主流である。リッターあたり出力は50ps以下、回転数も6000回転あたりが上限だ。が、S500は時計のように精緻なエンジンを積み、レーシングエンジン並みに高回転まで回った。
S500は1964年1月にS600へと発展し、さらに高性能なAS285E型DOHCを搭載する。独創的なチェーン駆動ならではの粋な走りもファンを魅了した。オープンだったが、1965年2月にファストバックのS600クーペを追加している。耐候性に優れ、快適なクーペの投入はホンダらしい決断だ。
1965年になるとS800が登場する。心臓は791ccのAS800E型DOHCだ。排気量は小さいが、70psを絞り出し、最高速度は100マイルの160km/hをマークする。その実力は世界トップレベルだ。だが、基本設計が古くなったため1970年7月に生産を終了し、人々の記憶からも消えていった。
第1期のホンダスポーツは、創設者の本田宗一郎の魂そのものだ。負けず嫌いのエンジニア社長の意地と心意気が、クルマに乗り移っている。独創的だし、破天荒だ。
クラスを超えた質の高さを誇り、レーシングエンジン並みに高性能だった。高回転まで回すのが楽しいし、ビートの効いたエンジンサウンドも魂を揺さぶる。チャレンジ精神あふれるエンジニア魂、これが不屈の「ホンダイズム」だ。
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