ヘッドライトは「車の顔」の一部分であり、表情を作る重要なパーツ。今や各車さまざまの自由な形になり、最近ではLEDヘッドライトも一般化しつつある。しかし、歴史を振り返ると、車のヘッドライト=ほぼ丸形しかないという時代もあった。現代のように自由な形状のヘッドライトが一般化したのはなぜなのか?
文:永田恵一
写真:編集部、Honda、Ford、Audi
米国では70年代まで“丸型”が義務だった
ヘッドライトは、もともと丸型であった。
というのも戦後自動車先進国だった米国で、ヘッドライトは、1974年まで丸型の規格サイズのシールドビーム(いわゆるカバーからバルブまで1つになった一体型。バルブだけの交換はできないが、かつては明るさ、防水性、耐久性に優れるというメリットが大きかった)を使うことが義務化されており、これを2灯にするか4灯にするかしか選択肢がなかったからだ。
いっぽう、欧州はヘッドライトに関する法規がなかったため、1960年代初めには四角いヘッドライトを使う車が登場。
日本もヘッドライト関係の法規はないものの、排ガスなどの規格は、今も昔もアメリカに倣うことが多いのと同じように、黎明期は丸型シールドビーム規格のヘッドライトを使う車が主流だった。
規格サイズの角形ヘッドライトは、1967年の2代目ファミリア、1968年の3代目クラウンのハードトップ(2ドア車)が最初であった。
また、1970年代まで日本車のヘッドライトは、いわゆる“異形”と呼ばれる「車のスタイルに合わせたヘッドライト」は少数派だった。
確かにカローラやスカイラインといった日本を代表した車を思い出すと、1980年代初めのモデルだと上級グレードや後期型は異形、廉価グレードや前期型は丸目という印象。
これはヘッドライト形状の変化を象徴しているように感じる。
個性派の“リトラ”はトヨタ2000GTが日本初
1つヘッドライトの歴史の中で忘れてはいけないのが、今ではもう過去のものとなった「リトラクタブルヘッドライト」である。
“リトラ”は、もともと米国では使えるヘッドライトの種類が非常に少なく、顔の個性を作るために「ヘッドライトを隠してしまおう」という発想で生まれたもの。
1942年のクライスラー デソートクラブクーペが初採用し、1960年代からスポーツカーで世界的に普及が始まり、日本車では1967年にあのトヨタ2000GTが最初の採用例となった。
スタイル以外に法規で定められるヘッドライト地上高と低いボンネットの両立、ヘッドライトを使っていないときの空気抵抗の低減といったメリットもあり、日本車でAE86トレノ、180SX、RX-7など特に米国に輸出されるスポーツモデルで多く採用された。
しかし、点灯時の空気抵抗や、点灯中の歩行者保護が問題視されるようになり衰退。日本車では2002年生産終了のRX-7、外国車でも5代目コルベットを最後に姿を消してしまった。
転機は80年代のヘッドライト形状自由化
話を固定式ヘッドライトに戻すと、1980年代に入ると米国でもヘッドライトの形状が自由化され、世界的に異形ヘッドライトの普及が一気に進んだ。
この背景には、1970年代に2回あったオイルショックにより燃費向上の気運が高まり、空気抵抗低減のためヘッドライトとボディの段差を減らす目的や、空気抵抗低減のアイデアとしてグリルの小面積化を狙う目的があった。
フォード トーラスのようなグリルレス車の登場で、異形ヘッドライトの必要性が高まったことが挙げられる。
1980年代のヘッドライトのブレイクスルーは、「プロジェクタヘッドライト」の登場だ。
集光レンズを使うことで大きな反射鏡が不要となり、ヘッドライトを小型化できデザインの自由度も増えるというメリットを持ち、1986年にBMW 7シリーズが初採用。
日本車でも1988年のS13シルビア、初代セフィーロ、翌1989年のR32スカイラインといった日産車が積極的に採用した。
しかし、先に挙げた日産車では普通のヘッドライトもあったため小型化というメリットは感じられず、明るさも正面は明るいものの横方向が暗いという声も多かった。
そのためプロジェクタヘッドライト付を俗に“角目”と呼ばれた「普通のヘッドライトに替えた」という人も少なくなったようだ。
コメント
コメントの使い方デザイン自体はシンプルな丸形や四角形の方が良かった。