毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回はマツダ ユーノス プレッソ(1991-1998)をご紹介します。
文/伊達軍曹 写真/MAZDA
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■ロードスター・コスモに続きユーノスから3番目に登場した「プレッソ」
「バブルの落し子」的に揶揄されることも多いが、その内実は、真摯にデザインされた良質な一台だった。
しかし、それでもバブル崩壊の後始末やスペシャルティクーペ人気の凋落、そして自社の乱脈経営(販売チャネルの過剰な拡大)のため、生産終了を余儀なくされたFFスペシャルティクーペ。
それが、ユーノス プレッソです。
バブル景気を背景にマツダは1988年5月、1992年までの「MI(マツダ・イノベーション)計画」をスタート。
これに基づき、従来の「マツダ」「マツダオート」「オートラマ」という販売チャネルに「ユーノス」「オートザム」を加えた「国内5チャネル体制」を敷いていきました。
そうして生まれたユーノス店向けのモデル第一弾として1989年に登場した「ロードスター」、翌1990年に誕生した「コスモ」に続く、スペシャルティスポーツの第三弾として1991年6月にデビューしたのが、ユーノス プレッソです。
車台は、ファミリアなどに使われていたBプラットフォームをもとに専用開発された「Eプラットフォーム」で、そこに載るエンジンは当時「世界最小のV6エンジン」だったK8-ZE型1.8L V6 24バルブ。
前期型の最高出力は140psで、組み合わされるトランスミッションは5MTまたは4速ATでした。
全長4215mmのコンパクトなクーペボディの全高は1310mmと低く、フロントセクションはV6エンジンを搭載しているとは思えないほどスラント(傾斜)していました。
しかし若干尻上がりなフォルムのため後席の天井高は高く、居住性はまずまず。
そしてリアゲートにはサイドまで大きく回り込んだ三次曲面ガラスが採用されたため、後部の採光性も十分に採られていました。
1993年9月にはマイナーチェンジが行われ、1.8L V6エンジンがハイオク指定となって最高出力145psになるとともに、オートザム店用の姉妹車「AZ-3」に搭載されていたシンプルな1.5L直4エンジンも、ユーノス プレッソにもラインナップされるようになりました。
しかしそれでもユーノス プレッソの人気に火がつくことは特になく、1998年3月には姉妹車であるAZ-3とともに生産を終了。
同年6月には、販売のほうも終了と相成りました。
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