ホンダが狭山工場を閉鎖するのに伴い、オデッセイも生産終了することになった。狭山工場では、オデッセイ、ステップワゴン、レジェンド、クラリティを生産しており、ステップワゴンはほかの工場に移管するが(販売店では「寄居工場だろう」という)、残りの3車種は生産を終える。
工場の閉鎖に伴って商品の生産を終えると、場当たり的な印象を与えてしまう。工場は商品を生産するために存在するから、商品の終了に伴って工場も閉めるなら理解できるが、その逆は理屈が通らない。
特にオデッセイは、2020年11月に、比較的規模の大きなマイナーチェンジを実施。その後は月平均で1500台前後を登録している。人気車ではないが、オデッセイの価格は350万~450万円と高い。この価格で毎月1500台前後を登録できれば、不人車とはいえない。
特に今のホンダでは、売れ筋車種がN-BOXを筆頭に低価格化している。売れ筋価格帯が350万円を超えるLサイズの車種では、オデッセイの販売比率は圧倒的に多い。今後、オデッセイが廃止されると、ホンダの高価格車の売れ行きまで壊滅的に減ってしまう。
そこで、ホンダの救世主でもあったオデッセイとステップワゴンが仮に販売されていなかったら、今のホンダはどうなっていたのか、ということを考えてみたい。
文/渡辺陽一郎
写真/HONDA
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ホンダを危機から救ったオデッセイとステップワゴン
初代オデッセイは、1994年にホンダで最初のミニバンとして発売された。大勢で楽しく移動できて、遊びのツールも積みやすく、運転しても楽しい。従来の商用車をベースにした3列シートのワンボックスワゴンとは異なる新しいミニバンを目指した。
特に注目されたのは、前輪駆動を採用して(当時の3列シート車は大半が後輪駆動)、床を低く抑えたことだ。乗降性が優れ、充分な室内高を確保しながら売れ筋グレードの全高は1645mmだから、重心が下がって走行安定性も優れていた。運転も楽しめるミニバンに仕上げた。
当時はミニバンが真新しいカテゴリーで、全高が1800mmを超える背の高いボディには、違和感を抱くユーザーも多かった。そのために外観がワゴン風でスマートなオデッセイは、ホンダが持つ走りのイメージと相まってヒット作になり、発売の翌年となる1995年には月平均で1万台以上を登録した。今のライズやノートと同等の販売規模であった。
1996年には、ひとまわり小さなミドルサイズミニバンのステップワゴンも発売された。全高が1800mmを超える背の高いミニバンでは、最初の前輪駆動車だ。低床設計による乗り降りのしやすさと余裕のある室内高、低重心による優れた走行安定性により人気を得た。1997年には、月平均で9000台以上を登録している。
このようにホンダは、1994年にオデッセイ、1996年にステップワゴンを発売して、好調な売れ行きを保った。
国内市場全体の新車販売台数は、1990年が778万台、バブル経済崩壊後の2000年は596万台だから23%減っている。しかしホンダは1990年が68万台で、2000年は75万台だ。バブル絶頂期の1990年と比べても10%以上増えた。
もしオデッセイやステップワゴンが発売されなければ、2000年前後におけるホンダ車の国内販売台数は、もっと低い数字になっていた。ちなみにシビックの月平均登録台数は、1990年は約1万1800台、2000年は3500台へと急落している。
シビックの売れ行きがミニバンに押されて下がった面もあるが、オデッセイやステップワゴン、さらにCR-VやS-MXといった空間効率の優れた車種が投入されなければ、ホンダは1990年以降に売れ行きを伸ばせなかった。ホンダの国内販売は、これらの車種によって危機から救われた。
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