昔は花形だったセダンが凋落したと言われて久しい。が、自動車メーカーは決して手をこまねいていたわけではない。1990年代から現在までの30年の間にあった、国産セダンの歴史を振り返る。
※本稿は2021年6月のものです
文/永田恵一 画像ギャラリー「マルとバツ」評価/渡辺陽一郎 写真/ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2021年7月10日号
【画像ギャラリー】現状選べるのは17台! 国産セダンオールラインナップの「マルとバツ」
■セダン復権を狙って散っていったモデル
1990年代後半、トヨタは「セダンイノベーション」と謳い、セダンの可能性を追求。
その1台が5代目ビスタで、カムリとの兄弟関係を解消した5代目ビスタは初代プリウスで登場した当時最新のMCプラットホームや直噴エンジン、デジタルセンターメーターの採用、約1500mmという高い全高など、ビスタ(イタリア語などで「展望」の意味)の車名にふさわしい先進的なセダンだった。
しかし、その先進性が当時のユーザーにはわかりにくく、失敗。
チェイサーとクレスタの後継車となったヴェロッサはアルファロメオを思わせるエクステリアが特徴だったが、これも当時のユーザーには理解されなかった。しかし、皮肉なことに現在ドリフト業界などでは希少性もあり人気だ。
スズキ初のDセグセダンのキザシはハードに問題なかったが、スズキにこのクラスのイメージがゼロに近かったことが最大の原因でまったく売れず、ほとんどのキザシは覆面パトカーとなった。
■唯一無二! 軽の4ドアハードトップ
ダイハツの軽において個性派向けのオプティの2代目モデルは、軽初の4ドアハードトップだった。
しかし、軽サイズで3BOXとしたことによるデザインやラゲッジスペースなど無理が否めず、結果的にまったく売れず、オプティ自体もこのモデルを最後に絶版となってしまった。
■スーパーホワイトのセダンに憧れた時代
1980年代に始まったハイソカー(ハイソサエティカーの略で、上流階級向けのクルマの意味)ブームは初代ソアラや60系マークII 3兄弟(後期モデル)が火付け役だった。
ハイソカーはデジタルメーターなどを持つ豪華なインテリアやツインカム24といった強力なエンジン、そしてトヨタのスーパーホワイトに代表される純白のボディカラーが条件に近く、セダンでは70系と80系のマークII 3兄弟が代表的な存在である。
ハイソカーブームはバブル崩壊とともに幕を閉じ、今になると何だったのかわかりにくいが、深く理解せずに浮かれていたという意味ではバブルの象徴のひとつといえるのかもしれない。
コメント
コメントの使い方