日本を代表するオープンスポーツ マツダ ロードスターの奇跡と軌跡

日本を代表するオープンスポーツ マツダ ロードスターの奇跡と軌跡

 初代より一貫して、「人馬一体」のドライブフィールを目指す生粋のドライバーズカー、マツダ「ロードスター」。1989年の初代誕生から31年、現在は4代目(2015年デビュー)が活躍中だ。

 国産ライトウェイトスポーツカーの生き残り「ロードスター」が達成してきた偉業と功績を振り返っていこう。

文:吉川賢一
写真:MAZDA、ベストカー編集部

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2シータースポーツを多くの人に届けた

 「世界で最も売れた二人乗りの小型オープンスポーツカー」として、2000年にギネス認定された、マツダ「ロードスター」。2016年4月時点で、累計生産は100万台を突破(マツダ調べ)、いまもその記録を更新し続けている。

 ロードスターはほかにも、2代目(NB型)ロードスターが2003年のAUTO CAR誌にてポルシェを破って「ベストハンドリングカー」受賞、3代目(NC型)ロードスターが2005-2006年日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)受賞。

 4代目(ND型)ロードスターも、2015-2016年COTY受賞と、2016年のワールド・カー・オブ・ザ・イヤー(WCOTY)と、ワールド・カー・デザイン・オブ・ザ・イヤーをダブル受賞(1車種のダブル受賞は同賞設立して以来初)と、数々の賞に輝いている。しかし、意外にも原点である初代(NA型)ロードスターは無冠だった。

 というのも、初代が登場した1989年の10ベストカーは、初代セルシオやスカイライン(R32型)、フェアレディZ(Z32型)、インフィニティQ45、初代レガシイ、アコード、インテグラ、2代目MR2、ミニカなど、超強烈な個性のライバルが重なった年であり、流石のロードスターも、10ベストに残るので精いっぱいだった。まさに、日本車の「ヴィンテージ・イヤー(当たり年)」だったのだ。ちなみにこの年のCOTYは、セルシオが獲得した。

 だが、初代ロードスターはその後、日本はもちろん、世界市場で大ヒット。もちろん素晴らしいクルマであることに違いはないが、絶滅した2シータースポーツが、この時代にここまでヒットすると、誰が予想できたであろうか(当のマツダも想定していなかったのではないだろうか)。2シータースポーツを多くの人に届けた、ユーノス・ロードスターの功績は大きい。

 では、なぜ初代ロードスターはここまでヒットすることができたのか。それは…。

初代ロードスター(NA)。2代目、3代目、4代目は数々の賞に耀いているが、初代は無冠に終わっている
初代ロードスター(NA)。2代目、3代目、4代目は数々の賞に耀いているが、初代は無冠に終わっている

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