今回のバス停散策は大関横丁。名前だけ聞くと相撲にゆかりがあるのかと思うが、散策してみると歴史的にも深いつながりがあり、不思議な無石碑や遺構に遭遇。あるジャンルの人々にとっては“聖地”でもありそう。ナゾは深まるばかりだ。
文/写真:小野寺利右
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
大関横丁が気になる
以前からバスに乗車して気になっていたバス停が「大関横丁」だ。東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅近くだが、都営バスは古くから付近を走っている。昔はトロリーバスも走っていたので歴史的にも古い。
大関横丁は明治通りと日光街道(国道4号線)の交差点で台東区に位置するが、停留所所在地は荒川区のようで区境が通っていることが分かる。都営バスは浅草方面と池袋駅東口を結ぶ「草63」系統と「草64」系統、亀戸駅前と日暮里駅前を結ぶ「里22」系統が停車する。
便数はいずれも概ね15分毎なので多い方だろう。それと南北方向にもバスは走っているが停留所名が違い、南側は「三ノ輪駅前」、北は「三ノ輪橋」で停車する系統は「草43」だ。
大関横丁って相撲関連?
さて大関横丁の名前の由来は、大関なので相撲に関係するのかということだ。しかし散策してみると大違いで、江戸時代の下野国黒羽藩(現在の栃木県那須地方の一部)の大関氏が幕府から下屋敷として拝領したことによるのが始まり。
この下屋敷があった現在の第六瑞光小学校の傍に由来の碑が建てられていて、そこには第11代藩主である大関増業公の偉業を讃える文言が残る。つまり大関横丁は人名由来というわけだ。
横丁とはもとは「横町」と書き、当時は道と町名だったようで、現在の荒川区南千住一丁目一番地から八番地付近だったようだ。史跡の看板が常磐線のガード下にある。
都電の電停と三ノ輪橋
大関横丁から徒歩ですぐのスポットは、都電荒川線だろう。都電の三ノ輪橋停留場は始終点の一端だ。少し都電について紹介すると、元々は赤羽と三ノ輪橋を結ぶ都電27系統だった。
現在残されているのは王子駅までで、その先の赤羽まではバスに転換し、王57系統として走っている。電停名は三ノ輪橋という橋があったところからきている。
この橋は音無川にかかっていて、北区王子の石神井川から分流し、台東区と荒川区の境を通りながら、三ノ輪橋で二つに分かれ隅田川へ至っていた。橋の位置は日光街道と常磐線のガード付近にあたり、ここにも碑が建てられている。
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