ダイハツというブランド名からどんなクルマが思い浮かぶだろう。
いまやトヨタ自動車との密接な関連のもとつくりだされる、洒落た「軽」の数々はさて置くとして、昔むかしの三輪車「ミゼット」にはじまって、1960年に登場した初の四輪車「ハイゼット」……その次に登場したダイハツ初の小型乗用車は、スタイリッシュなコンパーノだった。
そう、イタリアン・スタイルの小型ベルリーナ。ベルリーナはイタリア語でサルーンのこと。コンパーノ(Compagno)だって仲間というような意味のイタリア語だ。どこまでもユーロピアンの薫り豊かな一台だった。
文、写真/いのうえ・こーいち
■ダイハツ初の乗用車
ダイハツは1907年の発動機製造会社に端を発するブランドである。戦前には三輪トラック、四輪トラックをつくり、戦後になって大阪発動機からダイハツ工業に改名。珍しいところでは、蒸気機関車の自動給炭装置用エンジンを、当時の国鉄と共同開発した、などという実績も持つ。
いずれは乗用車生産にも、という思いから、1961年10月の第8回全日本自動車ショウに小型車のプロトタイプを展示する。
実はこのプロトタイプについてはあまり詳細が解らないのだが、窓ガラスの大きなユーロピアン・スタイルが特徴だった、という。どうやら、ダイハツは最初から欧州スタイルで乗用車市場に乗り込んでいこうと考えていたようだ。
というのも1960年代はマツダ、ホンダ、三菱などが挙って乗用車生産に乗り出そうとしていた。後発にあたるこれらのグループの中で、ダイハツも個性主張をしなくてはならなかったのだ。
最初のプロトタイプから2年ほど経過した1964年2月、2ドア・ボディのコンパーノ・ベルリーナを発売する。その間、1962年のショウにはコンパーノ・ヴァンを展示し、それはひと足先、1963年4月に発売されていた。
ベルリーナはそれをベースにサルーン化したようなもので、もともとのそのヴァンがイタリアのヴィニャーレ製だったことから、コンパーノ・ベルリーナもイタリアン・デザインを踏襲する形になったのだった。
■カロッツェリアメイドの小型車
イタリアのカロッツェリアというのは独特の存在である。ボディのデザインを請け負うばかりでなく、じっさいにそのクルマを形づくったり、ときには少量生産を請け負うカロッツェリアもあったりする。
ショウモデルなども実走可能な状態までつくり上げるのは朝飯前の仕事のようで、フェラーリをはじめとする数多くのショウモデルが、そのまま市販されたりもした。
わが国でも、まだデザインや生産技術がままならなかった時代、プロトタイプなどをイタリアのカロッツェリアに依頼する例は少なくなかった。たとえばいすゞ117クーペなどは、その代表例として知られる。
話を戻して、カロッツェリア・ヴィニャーレはマセラティやフィアットなどに作品を残すが、ダイハツ・コンパーノはフィアット1500クーペなどと共通する柔らかい曲面とクリーンなグラスエリアを持つ、当時の日本車のなかでは垢抜けた印象を与えたものだ。
ダイハツは、すでに市販されていた「軽」の商用車であるハイゼットのシャシーを小型車クラスに不足のないサイズまで拡大し、それをイタリアに送ってボディ架装までを依頼した。ホイールベースは2220mm。実際の生産モデルでもモノコック構造ではなく、しっかりとしたシャシーを持ったものとなった。
シャシー付のデメリットは、当然のように重量が増すことと生産工程が省略できないこと。逆にメリットとしてはしっかりとしたシャシーがあることから、オープンなどのアレインジがしやすいことである。その通り、コンパクトで美しいオープンがつくられることになった。
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