【ノート、ブルーバード、エルグランド…】トヨタ車に勝った日産車

【ノート、ブルーバード、エルグランド…】トヨタ車に勝った日産車

 トヨタと日産の勢力図が崩れ、二大巨頭と呼ばれなくなって久しい。トヨタの日本国内の販売シェアは軽自動車を含めると30%程度だ。しかし登録車に限定すると45%ほどをトヨタ車が占めている。

 対する日産はトヨタの3割ほどの販売台数だ。

 が、日産はe-POWERを加えたノートが安定した売れ行きを見せ、乗用車の販売ランキングにおいて2018年の暦年、そして年度別においてもトップに輝いた。ハイブリッド車のアクアとプリウスを下してのランキング12カ月間トップだから価値がある。

 日産には過去にもトヨタにひと泡吹かせた名車が存在した。トヨタに勝った日産車という観点で、その栄光の歴史を振り返ってみよう。

文:片岡英明/写真:NISSAN、TOYOTA

3代目ブルーバード(510型)

販売期間:1967~1972年

 ブルーバードが誕生したのは1959年夏だった。初代の310系ブルーバードは洗練されたデザインと広くて快適なキャビン、そしてタフな走りが受け、空前のヒット作となっている。だが、ピニンファリーナのデザインと言われる2代目の410系ブルーバードは、尻下がりのデザインが嫌われ、トヨタのコロナにベストセラーカーの座を追われてしまう。

ブルーバード史上最も売れたのが510系でラリーでも大活躍してイメージアップ。610系の人気がイマイチで新型登場後も510系は約1年間併売された

 ライバルのコロナは1.5Lエンジンを主役にしたが、ブルーバードは初代と同じ1.2Lエンジンだった。走りの余裕においてもコロナにかなわなかったのである。

 販売トップの座を奪い返すために、日産は3代目ブルーバードのメカニズムのすべてを刷新し、最新技術を積極的に盛り込んだ。

 510系ブルーバードはサスペンションを4輪独立懸架とし、エンジンは新設計の4気筒SOHCだ。ファミリーカーの域を超えた高度なメカニズムを採用し、王座奪還に燃えたのである。スーパーソニックラインと呼ぶウエッジシェイプのボディも、端正で美しかった。

 だから1968年の上半期、コロナとカローラを抑え、登録車ナンバーワンに輝いたのだ。また、日本に加え、北米でも大ヒットし、ダットサンの知名度を大きく引き上げた。

 1600SSSはモータースポーツでも大暴れし、1970年のサファリラリーでは総合優勝、クラス優勝、チーム優勝の三冠を勝ち取っている。

3代目コロナは1964~1970年まで販売された。ブルーバード、コロナの販売合戦はそれぞれの車名の頭文字をとってBC戦争と呼ばれヒートアップ

2代目サニー(B110)

販売期間:1970~1973年(トラックは1994年まで)

 日産のボトムを受け持つサニーは、1966年4月に発売された。新時代のコンパクトカーとして脚光を浴びたが、秋にトヨタが投入したカローラ1100にクラストップの座を奪われ、その後はナンバー2に甘んじている。

 起死回生を図り、1970年1月に送り出したのがB110系のサニー1200だ。

 軽量ボディだが、ライバルのカローラより大きく立派に見える。キャッチコピーは「隣のクルマが小さく見えます」だった。

 上級志向を強く打ち出し、走りの実力も非凡だった。エンジンは1.2LのA12型直列4気筒OHVで、俊敏な加速を見せつける。FR車ならではの軽快なハンドリングも特徴のひとつで、サーキットでも大活躍した。

1970年に打倒カローラを掲げてデビュー。カローラ、サニーががっぷりよつで勝負していたころが懐かしい。ビッグネームのサニーが日本で復活することに期待

 最初の半年、サニーはカローラからベストセラーカーの座を奪い返している。その後、カローラがモデルチェンジしたため再び2番手に落ちた。

 が、トラック(通称サニトラ)は23年の長きにわたって国内販売が続けられ(海外では37年も発売)、このクラスの王者に君臨し続けた。記録より記憶に残る名車が2代目のB110系サニーだ。

サニー撃墜のため『プラス100ccの余裕』というキャッチコピーで敵対心をむき出しにしていた初代カローラ。世界一の量販車の最大のライバルがサニーだった

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