本誌『ベストカー』にて、インパクトの強い話題を取り上げる連載企画『文京区発 写真で見る衝撃の真実』。数ある企画の中から、富士重工=スバルのルーツであるゼロ戦取材の記事をプレイバック!(本稿は「ベストカー」2013年5月26日号に掲載した記事の再録版となります)。
※お詫び:一部内容に誤りがありましたので修正しました。訂正してお詫び申し上げます(6月23日AM8時)
文/写真:ベストカー編集部
■2013年、うららかな春の所沢に日本海軍伝説の名機が出現!
180万部を超える大ヒット小説『永遠の0』(講談社文庫刊・百田尚樹著)を読んで、涙した読者諸兄も多いと思う。
本企画担当もそのひとりで、(2013年)12月に公開される岡田准一主演の同映画は絶対に見に行かねばと心に決めております。
さておき、そうした「ほやほや」ファンである担当のもとに、「ゼロ戦のエンジンをかけるので見においで」というイベント通知が届いたのでありました。
■世界で唯一の「飛べる」ゼロ戦
今回一部プレスと抽選客を呼んでエンジンを始動するのは、アメリカ・カリフォルニア州にある民間航空博物館「プレーンズ・オブ・フェーム」が所有する零式艦上戦闘機52型。
太平洋戦争中の1944年にサイパン島へ不時着したもので、米軍がほぼ無傷の状態で収容した機体だという。
機体は当時のままで、栄21型エンジンも一部の部品が交換されているものの、ほとんど当時のまま。
当時のボディに当時のエンジンが搭載され、かつ飛行可能な状態にあるゼロ戦は世界でこの一機だけだという(過去1978年と1995年の2回、日本に持ち込まれており、そのさいは実際に飛行している)。
今回は残念ながら飛行はないものの、「日本初の飛行場が所沢に誕生して昨年で100年目となる記念」ということで、このゼロ戦が所沢航空公園にやってきた。
クルマ好きの読者諸兄ならばご承知のとおり、ゼロ戦を開発したのは三菱重工。そして生産については富士重工(現在のスバル)の前身である中島飛行機も担当した。
もともと終戦時、ゼロ戦が着陸時に出す車輪を使って何か別のものが作れないかということでスクーターを作製、それが大ヒットしたことが富士重工の基礎を支えている。
■いよいよエンジン始動……!
今回展示されているゼロ戦の由来がザッと説明されたあと、日米両国の国歌が演奏され、いよいよ前述のアメリカの博物館職員によってゼロ戦のエンジンに火が入る。
「バルンッ、バルンッ、バルルルルルルルリュリュリュ……」
ゼロ戦に搭載される「栄21型」エンジンは空冷星型14気筒。排気量は実に2790ccのOHVで、遠心式スーパーチャージャーで過給され、最高出力1100hpを叩き出す(設計にはのちにプリンス自動車で活躍する天才技士・中川良一氏が携わっている)。
空冷エンジンならではの、豪快で乾いたエキゾーストノートが響き、そこへ次第にプロペラが空気を切り裂く「バババババッ!」という音が混ざっていく。
ふと、68年前にはこの戦闘機が大空を舞っていたことに思いをはせる。
当時ゼロ戦は世界一の航空機製作技術でもって作られたと称えられ、そのDNAは日本が戦後、世界一の自動車大国となったことで確かに受け継がれていると証明された。
およそ50m四方の駐車場をゆっくりと一周して(もちろん離陸せずに)、ゼロ戦はエンジンを止めた。
風切り音がやむと駐車場の外から、子供たちの遊ぶ声が聞こえてきた。
コメント
コメントの使い方ヘ~エ・・知らなかったわ!!!ゼロ戦が中島飛行機製だとは
俺、三菱重工の堀越二郎さんだとばかり思ってた。間違えてたか