2024年現在、各メーカーから販売されている都市部向け路線バスは、ノンステップバスが標準となっている。しかしそうなる以前には、ワンステップ、ツーステップなど乗車したら階段を上がる、床が高め(?)のバスが普通だった。
文・写真:橋爪智之
構成:中山修一
(初期ノンステップバスの写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)
■ノンステップ車はいつできた?
今も事業者の好みに応じて、ワンステップ仕様も残されてはいるが、大半の事業者は、バリアフリー化の観点からノンステップ車を選択しているのではないだろうか。
もちろん日本以外の国でも、先進国・地域の路線バスはほぼノンステップ車となっている。
では、日本でノンステップバスが導入された最初の事例は、いつでどこの事業者だったのか。
大元を辿れば、日本初のノンステップバスは近畿日本鉄道(現近鉄バス)が1963年に導入した車両であるが、構造的にワンマン化できないなど実用的な車両とは言えなかった。
■事業者と協力して誕生したノンステップバス
ワンマン運転対応型路線バスとして、初の本格的なノンステップバスを製造したのは三菱自動車工業で、名古屋鉄道(現名鉄バス)との共同開発で1984年に試作したのが初めてとされている。
当時の最新モデルだった、初代エアロスターをベースにしたP-MP218M改で、扁平タイヤを履かせることで、前中扉間のフロア高さを地上から350mmに下げることに成功した。
車体後部は標準床となっており、中扉の後方に階段が設けられた。ノンステップ部分は床面が低いことから、背の低い人は通常の窓位置だと下から覗きこまなければ外が見えないことから、通常の窓の下に補助的な窓が追加されている点が外見上の特徴となっている。
試作されたノンステップバスは、まず共同開発した名古屋鉄道と、系列の岐阜乗合自動車へ導入された。
当時の名古屋鉄道は三菱車を多く採用しており、このノンステップバスもまずは名古屋へ導入されたが、当時は技術が確立しておらず、改造扱いの試作車両であったことから、他事業者ではなかなか採用されなかった。
関東地方の事業者として初めてノンステップバスを導入したのは京浜急行電鉄(現京浜急行バス)で、1986年に1台が羽田営業所に導入された。
京急に導入された車両は、同社オリジナルの仕様として知られている、中扉が両開きとなったスーパーワイドドアを採用しているのが特徴で、乗降時間の短縮に威力を発揮した。
導入当初は、羽田営業所管轄の都内各路線で使用されていたが、後年には神奈川地区へ活躍の場を移し、YCATやパシフィコ横浜と横浜駅を結ぶ路線に専属で使用されていた。
デビュー当時は中学生だった筆者は、田園調布駅~羽田空港間を結んでいた園11系統(廃止)で運行されていたのを東急池上線洗足池駅前のバス転回所で目撃。
メトロ窓と、その下部まで下げられた補助窓という、今まで見たこともないデザインに度肝を抜かれた。
その後は地元ということで、何度もお世話になったのだが、横浜地区の専属車両となった後は目にする機会も減ってしまった。